ヒマラヤの水害へお気持ちを寄せていただき、本当にありがとうございました。
合計37名様より、241055円のご寄付を頂きました。
世界中で大きな災害が多発しておりますが、今、私の目の前にいる方へ分配させていただきます。

☆寄付金配布予定の方の主な被害
家屋全壊+自宅での稼業の休止 2件
家屋半壊+自宅での稼業の休止 3件
水害によって死亡した家畜   30匹
落雷や水害によって死亡、治療が必要な方へのお見舞金 5件

村ごとひとつ流されてしまった所も近隣の村にありますが、強い結びつきがあるわけではなく、
現金を有効にお渡しできるかわかりません。
今回は、もう9年ほど外国人の私を受け入れてくれ、技術をつないでくださった方を対象に分配したいと思います。
彼らは私という存在を通して異国である『日本』を感じていました。
日本はインドへも多くの国際協力をしているアジアを代表する技術国と、ニュースなどで広く認知されています。
実際には日本が島国とは知らず、インドから陸路からバスに乗っていけると思っている人がほとんどです。

全消した家のおばあちゃんは、私が初めてこの国に来た年から糸紡ぎを教えてくれました。
旦那さんはもう他界していましたが有名な大酒飲みだったようで、2、30代の彼女は二人の子供を自分で養わなければなりませんでした。
その時代、この田舎では女性が現金を稼ぐことは難しい時代でした。
たまたまやってきたフランス人女性が彼女を首都デリーに連れていき、レストランというものを見せました。
最初は小さなレストランからスタートし一生懸命働いて二階に部屋を建て、レストランと温泉付きの宿を作りました。
子供たちと面倒見た牛の乳や、自分の畑で取れた野菜を衛生的な環境で安価で提供していました。
無事に娘も息子も結婚をしそれぞれに子供が生まれ、彼女はおばあさんになりました。
娘さんは幼い時貧しくて編み棒が買えなくて、木の棒を削って編み物を始めた。という程編み物が好き優しくお料理上手な人に育ちました。
そして遠くの町の優しくて働き者で、愛情豊かに大切にしてくれるの元に嫁ぎ、日本人の私の親友になりました。。
息子さんはハンサムでユーモアがあって優しい中年男性になりました。お母さんの編み物の仕事で、目が弱くなってできない所を夜な夜な手伝ってくれるような人でした。
私のウールの仕事にも最初から賛成し力を貸してくれました。
ロックダウンの翌年、50代前半若さ息子さんが突然病気で亡くなりました。
お嫁さんと孫の女の子の女性三人がこの家族に残りました。
女性だけの家族になり、おばあちゃんは70代になってもまた立ち上がり気丈に踏ん張りました。
レストランをお嫁さんと一緒に営み「じっとしてると色々考えちゃうから。」と、セーターを編み続けました。
この7月、そうやって建てた家が増水した川に地盤ごと家財も何もかも流されてしまいました。
8月頭、日本から帰国した私が避難先を訪ねると、変わらずセーターを編んでいました。
そして、彼女は獣の様に泣きました。

この時、何ができるだろうと考えました。
目の前で起きたことを人に伝えるべきだろうか?と。

オンラインライブの前日準備の都合でどうしても、雷雨の山を歩かなくてはなりませんでした。
実は、お話会終了後すぐに横になり、2日間寝込んでしまいました。
筋肉痛かと思いましたが、発熱で関節が痛かったみたいです。
水が汲みに行けず絶食し、今、体調が回復し皆様にメールを書いています。

ヒマラヤでは大自然の中での命のやり取りが、日々、強烈に鮮明に繰り返されています。
そのやり取りには、当然人間も参加しなければいけません。
ヒマラヤの民は、問題があったら自分で考えて行動する人たちです。
何度も立ち上がる生命力に溢れた人たちです。

家が流されてしまったおばあちゃんにチャリティーライブするから。と伝えました。
日本の人たちの反応は?と不安そうに彼女は聞いてきました。
私は、今これだけの人が申し込んでくれているよ。と、その時の現状を伝えました。
彼女は、「そうか。ありがとう。」と言ってにっこり笑い黙ってセーターを編み続けました。

おばあさんの娘さんは、幼いころフランス人の女性がやってきたこと。
彼女が応援してくれたことは、一生忘れないと40台になった今も言います。
そして、その娘さんはもうすぐ成人。
母の親友は、自分の母の様に接するモノなの。と、私に接してくれます。

日本のみんながオンラインで水害の事を知って心を寄せてくれたお金。
という事を、お伝えしようと思っています。
きっと、私一人からのお金より。
日本のみんなから。というのが、嬉しかったと思います。

私自身の想いは。

チャリティーをする時に、同情や悲しみを誘うことはしたくなかった。また、自分よりかわいそうな対象と自己の中で思う存在を作り出し、その対象に施すことで自分という存在の存在意義を見出すという。人間の思考の癖を刺激したくはなかった。

お金って不思議で生まれた国によって、一時間の労働の対価は違って、取得と物質供給のバランスで裕福と貧困とカテゴライズしてしまう。日本でも、インドでもどこの国に行っても、個人の努力や資質ではなく、親や配偶者の地位や職業を語りそれで人を判断したり、そこに個人の能力の差なんてなくて、ただの運と自己認識だと世界を旅して思った。

本当の豊かさは物質所有ではなく、そういう思考から自由になり健やかに生きる事。その中で自分で自分の安らぎと幸せを育みたい見つけていくことが本当の幸せだと思った。

と同時に、他の生き物が幸せじゃないのにどうして自分が本当に幸せになれることができるの?と思うようになった。 たまたま日本に生まれ一時間は働くことで得られるお金が多く、ネットショップも開業する権利を持っていたり、パスポートを取得できたり、クレジットカードも発行できる。そんな自由を持っているのなら、自分の人生をかけてもいいと思えるところに賭けて幸せを育んでみよう。

一人でどこまでできるかわからないけど、人生は一度きり、できるだけやってみようと思ったのがたった数年前のこと。 貧しい人を助けている。なんて発想や思考から完全に抜け出すことができるまでに、もちろん努力は必要だった。

それがスレンダーするということだと思ったから真剣に向き合ってみた。 誰かを助けているつもりで、実は、私が助けられていたんだと。 助けている。助けられているって。実はどちらも同じなんだって、毎年行っている瞑想の最中に思った。 私は、こうやって活動している中で努力家で夢を諦めない素敵な友人ばかりに囲まれ、ありのままの自分でいることを与えるとか、貰うじゃなくて、共に共生していこう。と、家族でも恋人でもないけど、そこまで頼れる友人がたくさんできた。忙しく仕事ばかりしているけど、この世に生まれてきてよかったと思える瞬間が積み重なっている。

これは、お金でも名誉でも得られない、でも、どんな国に生まれても、お金持ちの家庭でも、貧しい家庭でも、誰でも感じることができる、究極の安らぎで自由だと、世界の貧富の差を見て思ったんだ。 足ることを知り、与えているつもりが与えられている。 実は小さな虫や、目に見えないような生物のおかげで、たくさんの植物の命の循環のおかげで、そのすべてを司る大いなる存在の陰で存在している。人間も大きないのちの輪の中のたったひとつのピースであるという事が、私にはとても大きな安心につながり、ただそれを感じるために多くの経験をしていたのだと思う。

この度はたくさんの皆様、主催の萬夕さん、私という存在の進む方向を想い、そこにbetしてくれた方がたくさんいてくれたという事が嬉しいです。夢みたいな世界だと。そんな風には生きれないと。はじめはたくさんの方に言われましたが、今は、本当に夢みたいなことだと思う?と思えるようになりました。たくさんの心を寄せてくださる方のおかげです。

ありがとうございました。
心より感謝しております。

皆様が健やかに本当の幸せと共にありますように。
愛と祈りを込めて

むつみうみ

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