ヒマラヤの村では、配偶者が亡くなり未亡人となったら1年間厳密な喪にふくす。
女性の場合、一切の身につける衣服を白かグレーにする。
今年の8月、おじいさんは真っ白の民族衣装を織り始めた。
その意味を家族の全員が知っている、だけれども誰も何も言わない。
私は、ショックでたまらなくて長い工程の最中、写真も1枚しか撮れなかった。
それどころか、初めて、彼に対して怒りというか、複雑な感情が湧いてしばらくお喋りもできない、まるで中学生の頃お父さんがなんだか無性にムカついて、まっすぐ向き合えなかった時のような状態になってしまった。

8月から時が経ちその間に、おじいさんの息子孫達と、おじいさんが育ててきた羊の群れの遊牧に出かけたり、二百時間近く一緒に原毛の掃除をしてきた。
おじいさんは今までになく、昔のことや、自分が見てきた事を話してくれた。
そして、死ということをこちらの信仰を交えて話してくれた。
その全てに恐怖や不安はなくて、ただただ愛があった。

育ててきた動物たちへの愛。
原毛を掃除するその工程への愛。
糸を紡ぎ織る。という工程への愛。

彼の日々の労働は、お金の為でも、名誉でもなんでもない。
ただただ純粋な愛である。
おばあさんが喪にふくす期間に纏う民族衣装。
その1年間おばあさんは、おじいさんさんの愛情でしかない、その衣に包まれて過ごすことになる。

私がここで学んでいるのは技術じゃない。
家族や身近な人。動物たちや植物という全ての存在への健全な愛の抱き方表現の仕方。

先住民の人達は、地球と宇宙と共に暮らしてきた。その在り方を感じている。

おじいさんはまだまだ健全そうに見えるし一度も口にしたことはないけど、持病に苦しんでいるのを私も気づいてる。

今年日本に持って帰る作品は、去年の10月頃から長い時間をかけて作業を続けてきた品達。
最近はおじいさんとおばあさんがいつも一緒。

私の作品。という意識は必要なくて、尊敬するみんなと一緒に作ってきた。その意識も彼からの贈り物だと思う。

尊い。

全ての作品に作り手の愛情が詰まってる。

そういう食べ物を食べて
そういう衣を着て
そういう家に住んでいたんだよ。

彼らの家に住み、畑から食べ物を取ってきて、羊を飼って衣を作る。
おじいさんとおばあさんは、暮らしの中で常に教えてくれる。

今まで文章やお話会では、「おじいさん」と読んできたけど。
日本の社会では「父と母」とかって呼ぶのが常識なのだと思い、恥ずかしすぎて書けなかったけど、実は、「パパ」と「ママ」って読んでいる。
パパとママは、私の事「Umi」って呼ぶけど
「あなたのパパ」「あなたのママ」と、私の前でお互いを呼ぶ。

彼らの愛情の深さ。
それが羊を育み、糸になり、布になる。

畑の仕事も、布を作ることも、家を建てることも、歌を歌うことも、愛情から生じるものであれ。と、世界中の先住民達が言う。
そうして育まれた人生はお金や名誉とは関係なく、ただただ豊かで自分のうちから幸せが溢れて来ると私は思う。

日本に持ち帰る作品たちは、村のみんなと動物達、あの大自然そのもの。
私達はいつも一緒。
この肉体の距離も存在も関係ない。

好き。と、愛してる。によって営まれる暮らし。
人としての尊さと強さ。

山岳遊牧民の村は、太古の昔から繋がっている愛に溢れているよ。

もうすぐ10年になるここでの暮らし。
今、最高に幸せ。

写真は、ママの喪中の民族衣装を織っている最中のパパと、その最中の織り機の横で草刈りしていたママと私。

豊かさって何も特別じゃない。
自分の中に溢れている

全ての存在が幸せでありますように

投稿へいただいたコメントへの返信を付録の考察として。

高橋 陽子 死=肉体という痛みから離れ、魂の光として神の元へ還る。それは全ての生き物に変わらない。という認識を子供でも持っています。森羅万象に生きる。とは、そういう認識も大きく関わっていると思います。
死への恐怖が無い=生への恐れも執着もない。
あるもので幸せ♡という概念が息づいています

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