原毛をまた新たに、買い付けました。
そして、この原毛から、また、たくさんのプロダクトを作って行きます。
この地方の伝統的な、ジャケットは、その工程が、この地域の民族独特で、woolの布地を織ってから、フェルト化させて、ジャケットに仕立てます 。とても寒いこの地域を、生き抜いてきた技が詰まっているのでしょう。
このフェルト化させる作業ができる方が、どんどん減ってます。とても、手間がかかり、さらに、民族に伝わる高等な技術が、ショールなどに比べ、かなり近いうちに途絶えてしまいそうだと、肌で感じています。
原毛を仕入れるところから、少しずつ、継続して記録、投稿出来たらいいな。と思います。
かなり、先は長いので。。。途中で何事も起こらず、完成まで記録に残せたらいいな(笑)
ーーー原毛の買い付けーーー
いつもお世話になっている、羊飼いの御家族に今回も原毛を譲っていただきました。
羊の群れには、白の羊は沢山いるのですが、茶色や、赤茶の羊は少なく、原毛もとても貴重です。
去年は、50kg購入した原毛のうち、5kgしか、茶色と赤茶は譲っていただけませんでした。
今年は、赤茶、茶色それぞれ5kgづつを譲っていただきました。
色を染めれば、色々な色が安定して作れるのですが、1000匹を超える羊の群れを見た時に、1匹として同じ白の羊はいなくて、微妙に色の違う羊の群れが、山肌を覆うように移動していくのを見ました。1匹、1匹違う色の羊の毛を混ぜれば、無限の色の糸が作れるという事に気づき、私自身はその方法の追求をマニアックに楽しんで追求するのが好きなようです。糸の色が、だんだんと変わっていくように、原毛を調節して混ぜていたりします。
まるで、ヒマラヤの山が頂上付近が白く、尾根にそって色が変わっていくような。。。そんな表現を可能にするためにも、茶色や赤茶、クリームカラーの白。ブルーがかった白。。。と、原毛を見ながら、ワクワクします。
ですが、草木染めで染めた、woolの商品もとっても可愛いので草木染めは草木染めのスペシャリストさんに染めをお願いして、草木染めのシリーズもお届けできる様に、計画も密かに進行しています。
ーーー羊飼いの暮らしーーー
今、羊たちは4000m程の高地に遊牧に出ています。家族の中でも、若い16-20歳くらいの兄弟が、2週間交代で羊の遊牧に付き添っています。
他の家族は、村に残り、冬のための干し草刈りを朝から晩までがんばっています。
なぜ、羊飼いは、夏の間に高地に行くのかと言うと。。。森林限界の上にはヒマラヤの高山植物が広がる世界があります。
そこは、羊の天敵となる熊やタイガーも少ないらしく、この地球上で2箇所ある、羊という動物の原種が派生し始めた場所の1つらしいです。この地に分布していた原種の羊達の子孫の、遊牧には最高に適した場所らしく、いい羊毛がとれるのです。
羊も、牛も、草ならなんでもいいかと、そんなことはなくて、病気の時に食べる草、おやつのように少しだけ食べる嗜好品のような草、普段の主食となる草。人間と同じで、草と言っても色々食べ分けているようです(笑)どうやら、ヒマラヤの高地の植生は、馬も、羊も大好きなようです。
ちなみに、バッファローや牛は4000mは高すぎるようで、3000mくらいの場所までが遊牧に適しているようです。
村からは、羊飼いの足で、2時間ほどで4000mまで上がれるので、この村も、羊飼いという文化に適した環境なのでしょう。
村で、干し草を干す老人たちは、曾孫、孫も、羊も遊牧から冬になったら村に帰ってくるから、ちゃんと干し草を準備して、待ってるんだよー。
と、言って笑っていました。
羊飼いのおじさん
この羊飼いと、民族工芸を結び付けて見ていた時に、曾お祖父さん、お爺さん、若旦那、孫。。。そして、おじさん。と、大きな家族で、それぞれに役割分担をして、羊の世話から、布になるまでをこなしています。
羊を遊牧する若者は、10歳の時点で、曾お祖父さんに着いて、いつも羊をおっていました。14歳ですでに、群れの指揮とり、私に羊の追い方を教え、立派な姿に羊飼いの英才教育を受けて、育っているのを見ました。
今は16歳になった様で、1人で遊牧地まで4000mを超える場所まで行き、2週間、相方の羊飼いと2人きりで、山を遊牧しながら歩いているようです。
お爺さんも、おばあさんも、若者も、羊飼いの家族は総出で、若者と羊が遊牧の旅から帰って来る時のために、干し草を用意しています。
おばあさんは、歳をとって、織物の細かい糸が見えないので、糸を紡いでいます。お嫁さんが、よく見える目を使って、その糸を織って、厳しい環境に遊牧に向かう息子達にジャケットを仕立てます。
ネパールで過ごして、羊飼いには出会ったのですが、そこでは、刈り取った原毛は、洗うことも無く、中国が全部安価で買い取っていくという現実を見ました。
日本でも、お蚕さんや、麻農家など、営んでいた時は、家族内で分業し、生産から、その地方に伝わる織りまでを、年長者から若者へと伝え続けてきたようです。
羊を飼ったり、糸を紡いだり、織ったりって言うことは、1人では限界があって、家族みんなで暮らす中の、コミュニティライフという自給自足の形だったのだと、ここの人たちを見ていると思います。
きっと世界中の先住民族たちが、そうやって、大きな家族として、生きていたのでしょう。。。
紡いだ糸も、woolのショールも、この干し草や、ヒマラヤの高地に茂る草花。。。
そして、水。風。土。火。と、結びついているという事が。。。。
ここに来ると、この青い空のように、さりげなく、そして、深く深く届きます。。。
ただ、羊飼いの息子さんが立派に成長して、ヒマラヤを遊牧していている。
十分な自然環境が残っていて、それを思いながら、干し草に寄りかかって、編み物をしているということが、とても幸せなことに思うのです。
ヒマラヤを遊牧している、羊飼いから、直接、原種に近い羊毛を譲っていただけたり、彼らの暮らしを、こんなに近くで、長年、見せていただけた事に感謝しております。
そして、この美しい地球に。
全ての奇跡の繋がり。
今、生きている。。。
この空を見て、風を感じていることに。。。
ありがたい。と思います。
とてもちっぽけ。。。
人間は、この大きなヒマラヤの中では、ちっぽけ。。。
大自然、母なる地球に生かされている、ひとつの小さな命。。。