今は、横浜の政府指定のホテルで隔離期間中です。
2年分振り返ります文章ですので、それはとても長い文章です。
読んでいただけましたら、幸いです。

今回の出国前は、コロナという騒動は起こっておらず、日本からインドへ渡り、VISA延長のためネパールへ渡り、2度のロックダウンを経て、インドのVISAが取れ、再度インドへ渡り、日本へ戻ってきました。

ロックダウンで動けなくなったネパールでは、経済成長という名の開発が行われ、そこに発展協力という名の、古来文化を無視した、統一化、統治とも、私個人の目には映るような社会の動きを感じました。
初めてネパールに行ったのは、10年以上前のこと。
その時は、観光客の街で糸を紡いでお土産ものをいる人たちがいました。そして、古代織を店先で織りながら、織物を売ったり、観光客に教える収入を得る人たちの姿がありました。
ですが、今回、1年半もネパールに滞在し、歩いて山の村まで羊飼いを訪ねて歩きましたが、糸を紡いで、原始織をおる人には、1人も出会うことは出来ませんでした。
それは、織物だけの話ではなく、経済発展という名の元、人々の生活様式や、価値観が大きく変わって来てしまったからです。
今のネパールでは、自家用車を買い、工業製品として大量生産された洋服を来て、ファンシーなレストランに行って、ビールを飲み、みんなで記念撮影をしそれをSNSで投稿する。というのがステータスになり。みんながそういう暮らしを夢みて、山を捨て、畑や田を捨て、都市部に出てお金の稼げる仕事を探すようになりました。
10年前にトレッキングに行った時に、通っった村は、今は、誰も人が居ない、廃墟の村になっているところもありました。
その現実を見た時に、私は、糸を紡がなきゃダメだなー。と、周りの人には、それの本当の価値はわかって貰えなかったけど、1人で黙々と、電気は一切使わず、自分の手の力だけで糸を紡いで作品を作っていました。(この方法は、インドの私が過ごしている村でも、1人か2人のおばあちゃんしかもうできません。)

やっとインドの自分の過ごしていた村に帰れた時、村には新しい建物が建ち、ホームステイという民泊宿がオープンし、南インドの方が1年契約し、インド人観光客相手に宿を営んでいました。
でも、村には""掟""という名の厳しいルールがあって、それを破ると、ほかの村人がホームステイの家の前で何時間も抗議し続け、翌日にはお客さんは出ていく。というような問題が起きていました。
その問題というのは、肌や体のラインが、はっきりとした着衣で外を歩いたとか、村で長老が無くなった日に、スピーカーで音楽を流したとか。インドの他の地域では全く問題がないことですが、この村では大問題で、多くの村人が、私にまで、観光客は穢れを運んでくる。と、毎日、愚痴るほどでした。
私も、外国人だけど。と言うと、お前はちゃんとルール守ってるからいい。と言い。そういえば、私もここのルールがわかるまでは、みんなに色々言われとったなー。あの頃は辛かったな。と思ったりしました。
山の部族は、神様との契約もあるし、生贄も捧げるし、とにかく、掟。が一番大事です。
昔は、村で、日本でだったら刑務所へ長年入らなくてはいけないような罪を犯しても、村人は誰にも言わなかったそう。村の中で解決し、暗黙のルールで、それは、神様がちゃんとお捌きになって、その家には、ちゃんとした罰が与えられている。というような、昔話をこっそりと聞いてしまう事もありました。
だから、私も、あの村にいる以上は、全てのルールを護ります。
畏怖の思いと共に、村の神様をお慕いするようになってきたからです。
村の掟に従い、自分を明け渡し始めた頃、村では特別な儀式などはしなかったけれど、何となく、暗黙の村の輪の中に入り、裏切りは絶対許さなけれど、ここの一員として心を開き、小さな村だし色々あるけれど、彼らは仲間は裏切らないよ。という、物語の中のような部族の心を感じるようになってきました。
彼らにも私に対して、戸惑いはまだあるようだけど。
厳しい山の民族の一面が見えるようになってきました。
インドに残る、カースト制度って実際には、何なんだろって思ったりしますが、これも制度の特徴の一面であることも理解してきました。

この冬は、たくさんの長老達を失いました。
糸紡ぎの上手だった、村の中でも特別な血統だったおばあちゃんや。
シャーマンのおじいちゃん。
羊飼いのおじいちゃん。
全ての人が何か特別で、どこか輝いていました。
私と一緒に、糸を紡いだり、編んだり、織ったりしてきた方や、その家族が、多く亡くなっていきました。
日本人は世界有数の長寿国ですが、インドの平均寿命はとても短いのです。
その生きる時間の感覚は、共に暮らしてみると本当に違うのです。
そして、気が付きました。

今現時点で、私が動いていることで、もう既に、他の村に比べ、そして、私が来る前に比べ、あの村での羊毛製品の生産量は上がっていると思うのです。
それでも、今、現在の私の見通しだと、Bella Terraとしてwool製品を製作、販売していますが、このままでは、長くて10年、早くて5年で、主戦力のお年寄りがこの世を去り、今の形での存続は厳しくなるでしょう。
村の長老はとても賢いので、きっとわかっているのでしょう。

魂を注ぎこむ様に、私の用意した原毛を紡ぎ、織っています。まるで、自分の生きてきた証を残すかのように。
彼のやっていることは、その量は、歳の若い私でも、本当に体が痛くて、痛くて、腱鞘炎になるレベルの量をこなしているんです。
そんなに頑張らないで。と言うと。
日本からオーダーを取ってこい。俺は、まだ、織れる。と言い。笑うんです。
よく人生を、縦の糸や横の糸、紡ぐという言葉で表現する、歌や、詩、文章を目にしますが、おじいさんは生まれた時から羊飼いで、今は遊牧は孫がしているけど、自分の育てた羊の群れの、羊毛を紡いで織って。村で一緒に育った友人達を、たくさん見送りながら、自分の子供や、孫も見送りながら。
彼は紡いで織ってその布を、私に託してくれています。
それは間違いなく、彼の生きた証が紡がれ、織り込まれている。
(ちなみに、このおじいさんの織った布はオーダーのお洋服分でいっぱいで、販売分にはなっていません。おじいさんにオーダーしてくださった方の写真を見てもらってから、織っていただいています)

未亡人になった、羊飼いのおばあさんも、彼女は言葉にしないけれど、長年、羊の遊牧に出ているだけあって、言葉は使わず、でも、心を伝えるのがとても上手で、私に織りの道具を貸してくれたり、出来上がった商品が、草のクズだらけだったりすると、娘たちを引連れて、黙ってやってきて、ゴミを何時間も家族でとってくれたり。
そして、金はいらん!私は寝る。と言って、颯爽と帰って行ったり。
もう、お金も儲からんし、食べる分くらいは対してお金もかからないし、引退したら。と、8人もいる子供たちは、おばあさんに言っているそうですが、それでも、おばあさんは好きだから。お爺さんと2人で始めて、増やしてきた羊だから、続けたいと言っているそうです。

村の人達は、
羊が好きだから。
羊飼いを続けたい。

牛飼が好きだから。
牛飼を続けたい。

織物が好きだから。
織物を続けたい。

蜂が好きだから。
養蜂を続けたい。

この土地が好きだから。
ここで、こうして、穏やかに暮らしたい。

村の暮らしはハードで、休む時間なんて全然ないくらい、朝から晩まで、みんなよく働いているんだけど。
生きるために、身体を使っているのだけれど。

便利な暮らしより、きれいな水と、きれいな空気と、さんさんの太陽と。
大好きな動物と、昆虫と、畑を耕して暮らしていたいと。にっこり笑って言うんです。

そして、
私にあなたが糸紡ぎと、織りと、羊が大好きなのと一緒よ。
わかるでしょ。

またまた、満面の笑みで言った人がいました。

私もあの土地で暮らし。
糸を紡いで、織物を織って、水汲みして、薪割って。ネットショップの準備や、オーダー商品の対応などもして。
日本で正社員で、休日出勤、残業毎日で、一生懸命、仕事に尽くしていた時と同じくらい。もしくは、それ以上に大袈裟ではなく働いていると思う。
でも、働くという概念が根本から変わって、生きている。っていう感覚になりました。
今は、人間としての労働って素晴らしい。
村のみんなと一緒で、その文化的労働でお金持ちじゃなくて全然いいから、質素でもこの世に生きていけるくらいのお金が、手に入ったらいいと思うようになりました。

山岳民族にも、時給、という価値観は存在しません。
そして、今の私にも。

そして、仕事って楽しい。
オンラインとか、WebBlogとか、ネットショップ。そんなん絶対無理だ。って思っていたけれど。
今もいっぱいいっぱいだけど。
2年目の今年は、何とか、2700Mの山からでも、ネットショップと2箇所の実店舗様に商品を下ろせるようになりました。
そして、皆様のお陰でネットショップ、実店舗共にほぼ完売。
購入していただいた多くの方に、ありがたいお言葉を頂戴致しました。

そして、今の私の目標は。
満月なので書いちゃいますよ。
NGOとして登録、活動していくことです。

ビジネスとしてでは無く、非営利団体として活動していくことは以前から考えていましたが。
年齢的にも、もし結婚や出産をする可能性があるのなら、私には両立できないだろうから、とか。色々な理由もつけて、ちょっと先に。ちょっと先に。。。って思っていましたが。

コロナのお陰で、今までより移動がより制限された、今。
でも、この村での羊飼いと、文化の残り時間はとても短い現実を見て。

全ても公的に、法的に、着実に進めていくのが、1番目的への近いルートな気がして来ました。

でも、私は、相変わらず、社会的なペパーワーク関係の文章を読むだけで、頭はクルクルしちゃうし。
毎日、羊飼いと犬と一緒にヒマラヤを歩いて、薪ひろって、草刈りも行って、糸紡いで、織ってただそんな暮らしがした
そんな人間のまんまです。
親身になって応援してくれ、長年たくさんの実務を共に取り組んでくれた方たちが、日本に現れて下さり。
今なら、次のステップへ進めるかもと思うようになりました。

そして、私個人の最終目的は、今はアンティークとして、もう、できる人はいなくなったと言われる、40-50年くらい前までに行われた織りの方法を、私自身が習得し、未来に繋ぐこと。
そのためには、短く見積もって、あと10年本気で向き合わないと、作れるようになると思っています。
村の長老たちから沢山学んで、たくさん時間を過ごして、自分の身体に、彼らの伝承してきた、人類の繋いできた知恵を落とし込まなくてはなりません。

何十世代も前から、産業革命が起きるずっとずっと前から、繋がれてきた文化や暮らしが、この世界から無くなる寸前の今ですから。

世界の環境問題は手がつけられなくなると言われる、1歩手前の今ですから。

ネパールは変わってしまったと。
インドは変わってしまったと。
日本は変わってしまったと。
昔は良かったと。
嘆く前に。

私は、ただ、
羊を追って、
糸を紡いで、
布を織って。

畑を耕して
野菜を育てて。

病気の人がいたら
背中を摩りに行き。

ただ、
素朴に、毎日笑っている。
そんな村のお年寄りみたいになりたいと。

この地球を救うために
何をしたらいいのかなんて
まだ、全然分からないけど。

人間がずっとずっと繋いできた
知恵と暮らし方を
ヒマラヤに山岳民族のお年寄りに
伝えてもらったから。

7世代先の未来の子供まで
届けられたらいいと思う。

世界はコロナで騒がしかったけど、世の中の深部の流れは変わらず、真摯で逞しかったように思います。
お陰様で、とてもいい時間を過ごしてきました。
ただいま日本。

今回の日本滞在も、そんなに長くありません。

NGOのこと。
そして、NPOとして法人登録するための、法的準備が必要になってくると思うのですが。
もし、詳しくご存知の方がいらっしゃいましたら、直接、メッセージいただけないでしょうか?

長い長い文章、読んでいただきましたことに、心から感謝しております。
ありがとうございました。
皆様が健やかに、皆様の命を輝かせて、それぞれの道を、それぞれの形で歩まれていますことを、心より祈って。

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