山岳遊牧民族の衣服の自給のプロセス
遊牧→刈り取り→原毛掃除、選別→洗い、乾燥→カーディング→紡ぎ⇒“毛糸”
この工程の“洗い、乾燥”まで作業が進んできました。
遊牧、刈り取り、選別、掃除、の一つ一つの工程それぞれに、どこまでも良質を追求することができます。
それは熟練の手のみが知る事だと感じています。
上質な手紡ぎ糸から出来上がる、ショールや編み物は上質で、良い糸程作業がしやすい。と、自分ですべてを行って初めて知りました。
良い糸はいくら熟練の技術があったとて、材料になる原毛が上質でないと、上手には紡げないことも、もう身に染みてわかっています。
だから私は紡ぐ前の工程を、時短せず、手間を省かず、楽をせず。最後に出来上がる美しい作品を想って頑張っています。
実際にBellaTerraのウールの質が、年々、良くなっている事に気が付いてくださっている方が多くいます。
洗うという単純な作業も、原毛を浸すお湯の温度ひとつ、洗う時の手の動きひとつ。が、乾燥の良しあしに直結し、出来上がりの風合いに大きく関わります。
羊の遊牧の仕方、刈り取り方、掃除の仕方、すべてが繋がって一つの作品になります。
お客様には「一生モノだと思って大切にします」と、言っていただきます。
私も「皆様の一生に寄り添うに値する心つもりで、太古から伝わる伝承の技の衣をお作りします」ので、とても手は抜けません。
こうして毎年、羊飼い一族と共に手を動かすことで、彼らに太古から伝わる心にも触れている気がします。
一言で表すのなら「祈り」と「感謝」と「循環」。
毎日惜しみない愛情と恵みを届けてくれる地球。
奇跡の星に生きている事を感じ、感謝していたいけど。
その心から離れてしまう時もあります。
自分の思考が自分を忙しくして、自分自身で紐に結び目を作ってしまったり
人との関りでも、結び目を解くことが友情や信頼と勘違いしてしまったり
村の人たちはシンプルにまっすぐしっかり目と目を合わせます。
心と心で向き合っていて、条件づけられていない純粋な愛情を感じる瞬間に溢れています。
人間という生き物は本来シンプルで他の生き物への愛情にあふれた生き物だと、ヒマラヤで手と足を動かすことで思います。
最近の近代社会は、時短!効率化!が、絶対良い!ような風潮があります。
この原始的な体験がすべてとは言いません。が、効率がすべてとも言いません。
肉体労働が多いですが、牛や羊を追いかけたり、草刈りしたり、屋根に登ったりは、子供のころの純粋な遊びの延長のようで、
働けば働くほど、魂が清々しくなっていくような気がします。
古の生活と心と、現代の生活と心、お互いをどこか遠くのものとせず
お互いの利点を統合し、感じ支えあえる。
そんな事を想い、祈り。
今日も心を込めて写真と文章を投稿します。
カリール・ジブラン 著 「 予言者 」 より 労働についての一説
そして衝動は盲目。そこに知識がなければ。
そしておよそ知識は空虚。そこに労働がなければ。
そして労働は空しい。そこに愛がなければ。
愛をもって労働するとき、あなたは自分をつなぎとめる。自分自身に、ひとに、そして神に。
愛をもって働くとは何か。
それは心から撚りだした糸で布を織ること。あなたの愛する人がそれを纏うかのように。