ヒマラヤの朝。山並みは同じなのに、毎日違う姿を見せてくれる。
この日も、羊飼いの村まで、歩いて降りる。少し体も慣れて、鳥が嬉しそうに囁く、朝の森が、空気が、土の感触が心地良く身体に響きました。
村に着くと、早速、昨日、洗った原毛を確認すると、夜の間に、Sushil君が上手に吊るし直してくれていた。さすがは山の青年。
1晩吊るして水気の切れた原毛を天日に干す。
羊毛を干しながら、その脇で、火の傍で早く乾燥させた羊毛を、ハンドコーミングして、紡いでみました。
言葉で書くのは簡単ですが、実際にハンドコーミングで糸を一定量紡ぐのは、私は初めてでした。
ネパールには、機械を使ったコーミング工場は首都のカトマンズにあるだけのようで、羊飼いは沢山いるのですが、羊毛のほぼ全てが山の羊飼いを回る、専門の買取業者が、一気に買取をし、ネパールの羊毛はコーミング工場も沢山ないため、中国に運ばれ、工場でコーミングから紡績、織りまで、工業的に行われているようです。
そして、ネパールの紡績工場では、コーミング住みのニュージーランド、オーストラリアのwoolを、機械で紡いでいます。ネパールでの流通しているwool製品の5-10%程しか、made in Nepalではないそうです。これは、実際に、首都カトマンズへ滞在中、ニュージーランド産原毛は、安価で簡単に手に入りましたが、ネパール産のヒマラヤ原毛は見つかりませんでした。
この辺り一体の村でも、糸紡ぎが廃れてしまい、原毛をコーミングする、ブラシは入手困難だろうという事でした。ポカラでも、随分探しましたし、村の方でも、もう随分昔に糸を紡ぐ人はいなくなってしまったようなので、道具も残っていません。
それならば、手でコーミングをして糸を紡いでいました。
村の人達は、羊も原毛も見た事あるけれど、糸になる様子を見て、驚きと衝撃を受けた様子でした。
次々と村人がやってきては、道具は木でできた駒1つで、原毛から毛糸ができていく様子を見て、なにかと話していきました。
ここで重要な原毛の価格の話になりましたが、茶色の羊は200匹近い群れの中でも、3匹しかいないようで 、インドで購入している時の15倍程と非常に高値を言われました。
この原価と、その後の洗い、コーミング、紡ぎ、そして、やっと編みや織る事ができ、作業時間を考え、最終的に販売する価格ざっと計算したら、頭が痛くなりました。。。
その事を、羊飼いの息子のSushilに正直に、具体的な時間数、価格も含め説明しました。
すると、彼も、顔を顰め、時給にしたら、ネパールの時給にもならないね。と言ってきました。
でも、彼らの暮らしぶりを見ても、3匹しかいない茶色の羊毛を高く売らなくてはならないのは分かります。
どうしたらいいのかわからなくて、とりあえず、ちょっかいを出してくる村の人達の相手は、そこそこに、ハンドコーミングして、糸を紡ぎ続けました。
しばらく糸紡いでいると、茶色のみだから原価が高くなる。インドでも、非常に安価の白の原毛と茶色を混ぜ、違う色を創ったり、白と合わせて購入していたことに、気づきました。なぜか貴重な茶色に思考が偏っていました。
白の原毛は見せていただいた袋は、機械でコーミングできるのならば、申し分ないのですが、手でコーミングするのは、最高の品質でないと、私にはできないので(笑)他の原毛がないか聞いてみました。
お父さんは、今、遊牧に出ていて、数日は帰ってこず、お父さんでないという分からない。と言います。
そう言いながら、反対側の山の斜面を指さし、お父さんと羊達。と、息子のSusherは言います。
今、目の前の紡ぎたての糸が、目の前の斜面の羊という、インドでは当たり前だった事が、1年以上ぶりに、同じヒマラヤで見ることができてました。
その光景は、数名の人には、強烈だったようで、羊飼いの家族の長女、10歳の女の子は、ずっと作業を眺めていました。
ヒマラヤの自然、そして、命の繋がり、その全てが、私の手と、木でできたスピンドルを経て、糸になった。
森羅万象。
その瞬間は、思考はとまり、自己を超え自然と一帯感を感じることがある事ができる。
人それぞれ、その方法は異なるのでしょう。私にとっては、ヒマラヤチューニングと言えるような時間。久しぶりでいてくれ、初めての時間に感動していました。
紡いでいて、とても気持ちが良い羊毛でしたし、紡いでいて感動してしまう様な羊を育てた、その羊飼いのお父さんという人と、ちゃんと話してみたいと思いました。
息子のSushil君に、その旨を伝え、電話で連絡してもらって、後日戻ることにしました。
洗った後の原毛も乾いていなかったので、倉庫の屋根裏に干させて置いていただきました。
また来た同じ道を、上の村に向かって登り始めます。
2日目連続で、同じ村に降りていました。前日は2時間程かかった道。地元の人なら1時間ちょっと。
登り始め、森に入ると、遠くに羊達の声がきこえ始め、登っていくと、羊飼いと羊の群れも同じ方向に進んでいきます。
しばらく羊の群れと一緒に歩き、羊飼いに聞くと、彼らは、ムスタング王国と言われるエリアまで遊牧の旅をし、夏を高地で過ごすそうだ。
羊飼いの荷物は軽装で、小さなリュックを背負っているだけで、本当に、羊飼いとは、不思議で神秘的だと、その人達と関わってみて思うのです。
森が少し開け、下草の生えている場所に来ると、羊達は群れを広げ、草をはみ始めます。雷がなり始め、雨も降ってきたので、羊の群れを追い越して、登りの続く森の中へ進んでいきます。森に入る前、もう一度、振り返り羊飼いには手を振ると、雷のなる雨の中、何事もないように、羊と歩き、笑顔で手を振ってくれていました。
森で羊達に出会い、うきうきしていたんでしょう、なんだか身体が軽くなった気がして、宿に向かって登っていきました。
前日よりも、確実に早く、しっかりと歩けている身体の変化を感じました。
インドで共に暮らした、羊飼いのお父さんを思い出していました。山の綺麗な水を飲んで、畑でできた食べ物を食べて、綺麗な空気を吸って、自然の中で身体を使って生きていれば、元気になるぞーって、笑顔でよく言っていたなー。と。
山や田舎、自然に近い暮らしをしている方は、活気に溢れる方が多い気がします。
宿に戻り、しばらくすると雨は止んで、山に沈んでいく太陽の光がさしていました。
夕暮れときの山を見ながら、糸を紡ぎ。色んな思いも湧いてきました。
糸を紡ぐ事を知る人の居なくなった村。その日の、子供達の視線を思い出して。
インドの村を思い出し。あの村で、色々教えてくれている、おばあちゃんがハンドコーミングで糸を紡いでいたな。と。。。民族衣装1枚分紡ぐと言っていたけれど、途中で断念して、私の元へお金に変えて欲しいと持ってきた。織物をするには倍以上、紡がなくてはならないけれど 、それでも、ハンドコーミングで作った毛糸玉を譲ってくれた事。
村のおばあちゃん達が、現代社会に育った私には無理だと思うことも、やってきた事を見せてくれていたから、私にもできるかも。と思えるのだと、離れてみて思うようになりました。
コミュニティの中で、受け継がれてきた伝統。長老達が目の前で先人達のしてきたことを見せてくれていた。
それぞれがそれぞれに、違う技で優れていた。その個々の優れた点が繋がって、村という単位で、自給することを可能にしていたのだと思う。
日本や、世界中でも、その様に暮らしていたのではないだろうか?そして、今も素敵なコミュニティは世界中にたくさん存在している事を、旅の中で見てきました。
コミュニティの中で、人は成長しあい、技能を持ち寄り、繋がり生きていました。
それは、1人ではできないことを可能にし、人間という儚い存在が、偉大なる大自然の中で生きていくために、老いたものは、知恵を分かち合い。若いものは、学び補い。村という存在があったのだと思う。
私は、インドの山の村の一員にも、なれているかな。と思えた日だった。あの村で暮らし6年が経ち、初めて訪れた違う国でも、その場所で、原毛から毛糸を作れた。
数日前に亡くなった、村の長老のおばあちゃん。が見ていてくれている気がした。亡くなる4日程前、私が帰ってこない。どこに行ったんだ。と言ってくれていたそうだ。
そして、村のみんなも、私がここでも糸を紡いでいるのを、誇らしく、嬉しく思っている。と、連絡をくれていた。
Nepalヒマラヤでの、初めての羊飼いと原毛探しの旅は、なくなってしまった文化。という現実を実感し、色んな気持ちが湧いてくるけれど、ヒマラヤの景色を眺め、糸を紡いで、書いていました。
羊飼いのお父さんに会ってみよう。と、なぜか漠然と思っていました。
宿泊地 - Panorama view point
Tadapani. Gandhuruk.Kaski.Nepal