ヒマラヤの睡眠はどこか独特で、標高が高く酸素が薄いからか? ヒマラヤのなにかのせいか。。。眠っているのですが、夢。のような、自分の意思とは関係ない、半覚醒状態で、頭の中に流れる自分で選局できないラジオか何かが流れてくる。それを 眠っている身体も感じながら、横たわっているという感じ。どこかからラジオ放送が流れてくるけれど、覚えようと、聞き止めようともしていない。ただ、流れてくる感じ。それが、インドの山にいる時も、ここでもほぼ毎日起こっている。

脳内で何がおきているのかは、分からないけれど、完全に眠っているのだけど、それは流れ続けている。vipassana瞑想に行ったことがある人には、わかりやすいのだが、最終日が近づいてきた頃の眠りの質に、似ていると思うのです。

そして、朝日が昇るのを眺めに起きます。それは、何年も、変わらぬ日課です。

その日の朝は 、薄雲がかかり、幻想的な朝でした。

朝日の中、宿のおばあちゃんは、孫を抱いて、ヒマラヤの山並みを見ていました。

その日の朝、羊飼いの息子のSushilから電話があって、お父さんが家に戻ってくるので、下の村まで降りてくるように、連絡が来ました。

朝日を眺めて、瞑想をし、朝食に、この地方の郷土料理の揚げパンのようなものを食べると、朝の山歩きを始めました。

グルンブレッドとチャイ。

3日目になる村の訪問。この山道を歩くのも少し慣れてきたと感じるほど、足取りは軽く 、体も自然に気持ちよく動き、足の踏み場にも迷わず、飛んで、石をけって、進んでいくような。身体も少し山に慣れてきたのを感じました。

朝の清々しい空気の森の中で、1人歩きながら、インドの村の最近、天に帰った長老の事が頭をよぎりました。

糸を紡ぎ、織る。世界中の人類が受け継いできた、民族事のオリジナルな伝統の技や知恵は、世界中から失われていっている中で。。。

古い時代を見てきた彼女から託されたバトン。

原毛から糸を紡ぐことは、あの民族に受け継がれてきた技を、受け継げているんじゃないかなー。と、思えた2日間でした。

そして、FBを見た、Nepalのアンナプルナの反対側サイドの村の方から、農家小屋と、食事を提供するので、あなたの技と知恵を教えに来てください。と、その朝、メッセージが来ました。

森を歩きながら、先の事は分からないし、私は何も望まないけれど。次の世代に繋いでいける、その、ひとつの鎖になるのかも知れない。と、思いました。

山のおばあちゃんが、私に繋いだバトン。自分はまだまだ、若くて、人に伝える様なことは、何も知らんよ。。。と思っていましたが。ネパールの山の民からの招待状は、一通のメール以上の意味がありました。

朝の森は、気持ちがいいのに、亡くなったおばあちゃんや、想いを託してくださっているみんな、協力してくださっている皆様への感謝の気持ち、そして、悲しみなのか、何かなんて言葉に表せない気持ちと共に、涙が溢れて止まらなくなって、1人わんわん泣きながら、それでも、身体は軽々と山を降り、森の小鳥も、木々のそよぎも、そっとそこにいてくれていることを感じ、森に涙は溶けていきました。

ヒマラヤの不思議な眠り。その日の、おばあちゃんがラジオの選局をしていたのかもしれません。。。

羊飼いの住む村まで、後15分程のところ。山の中で木を切っている人達がいました。見ると、羊飼いの親子が2人で大きな木を切り倒しているところでした。

おはよう。と挨拶をすると、羊飼いのお父さんも、前回は見せてくれなかった笑顔を見せてくれました。歩き通しだったので、少し、座って彼らが何をしているか見ていました。

どうやら、お父さんが大きな木を割って、息子のSushilは、脇から伸びている枝を落としているようでした。

インドで使っていた道具と、同じようでしたので、息子のSushilに、枝落としは私がします。と言いうと、びっくりした顔をしていた。彼らの家でご飯も食べさせて貰っているし、薪割りはお手伝いしよう。と、ナタを持って彼らの元へ歩いていきました。

“インドでは自分の分の薪は、自分で割っていたのよ。“と言うと。インド人は手伝ってくれなくて、悪い人だ。とSushilは言うので。

“違うのよ。ちゃんと教えてくれていたし、怪我した時には、薪割りお願いしなくてもしてくれて、私が山で自立できるように、ちゃんと教えてくれてたの。“と言いうと、それはいい事だ。と納得していた。

1年ぶりの、彼らの道具での薪割りを続けると、やっぱり、思うところに刃が落ちなかったけれど、どうやったら、力を使わず、太い薪が割れるか思い出して、新しく知り合った彼らも、遠くから刃物使いを見ていてくれて、羊飼いのお父さんは、満面の笑みを向けてくれました。

お父さんは、木を削って杭を作り、大きな丸太に杭を打ち込んで、ふたつに割っていました。それぞれの場所事に、生えている木も違い、木の切り方もそれぞれの知恵があり、その日も、新しい技を見たーと興奮していました。

この杭を打ち込みます。
丸太の真ん中に、杭が入って割れ目になっています。

身なりや顔じゃなくて、羊飼いのお父さん、カッコよかったです。そして、息子のSushilも羊飼いの息子独特の、人を寄せ付けず、いつも1人佇んでいて、無口で、そして、すごく優しい男の子でした。

汚れて、ちょっと痛む手と、目の前に転がるマキを見て、そうそう。この手。こうして、自分の手を信じて、みんなで仕事を分け合って、生きていたんだ。山での暮らしを思い出しました。

カッコつけなくていい。美しくなくていい。牛のフンの匂いの染み付いた、そんな自分の手が好きだった。くしゅくしゅのシワだらけの飾らない山の民の笑顔が、とてもとても美しいと思っていたんだ。

インドの村の長老たちの1枚。

お父さんも、いきなりやってきた外国人だけど、山の人特有の壁は感じられず、心を開いてくれているのが分かりました。話よりも 一緒に山に入る方が話が早く通じ合える。山の民のそんなところが大好きです。

随分切って、その場にあった木が全て割られて、村に3人で戻りました。山の人独特の歩き方のリズムは、私にとって心地よいリズムです。

村に降りご飯を頂いて、お父さんは、ふわふわの若い羊の白い原毛を持ってきてくれた。

そして、いつの間にか、反対側の斜面にいる羊の群れの元へ帰って行った。こちらの人は、さよならは言わない人が多い。いつの間にか、好きな時にしれっといなくなってしまっている。そして、私も 、好きな時にしれっといなくなる文化が心地よくなっている。

そして、今日出していただいた、フワフワの原毛の選別作業を始めた。ここでの作業も3日目、羊飼いの長女のSushilちゃんは、毎日作業を眺めていた。

その日も、私の横にやってきて、黙って共に作業をする。そして、自分の着ていたセーターを指さして、これも、羊毛から作れるの?と聞いてきたので、もちろん作れるよ。と言うと、目をぱっちり開き、輝かせていた。

作業を始めたのが14:00すぎで、終わった時には、18:00を過ぎていた。とても時間のかかる作業だったが、最後まで手伝ってくれた。この3日間の作業を通して 、Sushilちゃんは、原毛から、選別、洗い、乾燥までを覚えた。次にインドに戻ったら、糸つむぎの道具を持ってきて教えて欲しいという。

本当に?本当に?

それは私にとってもとても嬉しいこと。1度は廃れてしまった伝統が、この村で、また、世代をジャンプして、未来ある若者たちが興味を持ってくれた。

さすがは羊飼いの娘。きっとDNAには逆らえず、きっと彼女の中の中に響いたのでしょう。

去った時代を、失われていくものを嘆くより、希望のある未来に種をまいていくこと、繋いでいくこと。そして、その種であった先人のように、自分自身が種になる。

そんな事を、この村と、大切なおばあちゃんをなくしたことで、学んだ気がする。

選別前の原毛。
糞や硬い部分を取り除く

作業の後片付けをし、woolを袋にまとめ、荷物をまとめ、その日のやる事を終わらせると18:40だった。もう太陽は暮れて、マジックアワーと言われる、夜の前の今日の太陽の残りの明かりの時間だった。

19:00には、闇がやってくる。

急いで森に向かって登っていくと、山道にはタイガーがいるから、言ってはいけないという。大丈夫!と笑い、森への道を早足で登っていく。

森に入ってすぐ、来るんじゃなかった。。。と、とても後悔した。森の中はすでに暗く、夜の気配がした。

1時間はかかる道のり。

歩き始めてすぐに暗くなってしまった。恐怖や、たくさんの心配、不安が湧いてくる。足場も見えなくて、1日沢山働いた身体は思うように動かず、体力もどんどん使ってしまっていた。

休みたかったけど、本当にタイガーやレオパードがいるのは知っていたので、本気で休まず歩いた。

半分ほどの地点で、このままでは、体力が持たないと思った。

深呼吸して、恐怖を超えて、思考を越えて、無になって歩くんだ。と自分に言い聞かせた。

でも恐怖はさっていかなくて、この森の全ての命、精霊たちのために祈った。祈りながら歩いていたら、恐怖は去って、目も 、耳も、足も、全ての感覚を研ぎ澄ませていった。

胸の辺りが暖かくなって、広がっていく感じがした。

もう恐怖は帰ってこなかった。

祈りや感謝の気持ちは、恐怖や嫌悪から離れて、力をくれました。

あと、もう少しで村に着くというところで、村の方から声がした。私の名前を呼ぶ声に、大きな声で返事をした。

宿の息子のSureshくんが、遅いので下の村に電話をして、私が上へ向かっていると知り、森に様子を見に来てくれた。

そして、宿に戻ると、お父さん、お母さん、家族が、心配して待っていてくれた。

その日は、お母さんが、お手製の村の料理を作って、大きな笑顔で、良かった。良かった。無事で良かった。と言ってくれた。

夜の森。恐怖を超えて、ちゃんと村に帰ってくることができた。

始めは2時間かかった道のりを、夜道でも、1時間10分で歩いた。時間にしたら1時間10分だったけど、もっと長い気がしたし、たった1時間でも、1時間以上の自分の中の旅をしたと思う。

やはり、山の時間は特別で、信じられないけれどたった数日なのに、たくさんたくさんの事が、外側でも、内側でも起こっている。

山に来て良かった。

そして、この新しい家族に出会えてよかった。

宿泊地ーPaanorama view point

Tadapani-Ghandruk.Kaski .Nepal

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