布を織るときに経糸を上下させる部分を「綜絖」と言います。綜絖も木綿糸でできていて、村の長老はこの道具も手作りしてしまいす。
経糸を千か所以上の通すべき所に通していく作業を綜絖通しと言います。
道具などは使わず、太もも、足、手、指、と、身体を縦糸に繋ぎ、自分の身体と道具を結び付け一体にして経糸を通していきます。
織りを始めたころ幾何学模様の道具を動かし見続けるこの作業中に、思考が過去を旅してしまったり涙がでたり私には過去の清算の作業でした。
道具の反対側で手を差し出し待っているPapaに正しい位置に糸を通しながら渡していく。動作を数百回繰り返します。二人一組のPapaの呼吸、リズム、過去の記憶と経験に導かれるように、集中して身体も指も勝手に動き、心と身体が繋がっている静かな状態で作業ができます。
こうした時間を重ねるうち、ヒマラヤの遊牧民の長老である彼の見てきた景色や空気が流れてくるように感じることがあります。大切なことをゆっくり時間をかけて、暮らすこと生きる事を通してPapaも伝えてられ、そして私に伝えてくれているのでしょう。
たくさんの工程を経て、織り機に座って布を織り始めます。
織りの最初の日は、織機のたくさんの部品を直すところから始まります。山から集めてきた木の枝をのこぎりで切り出し古い部品を作り直し織機に経糸をセットします。
織物を始めたのは何年も前の事。初めて織物を習った日もノコギリとナタを手に道具を作るところから始めました。織物の道具を作ることもここでは織物で、みんな当たり前にこなしてしまいます。
古い織機は全身の動きとリズムに重なり、木と木綿糸だけでできた織機がギシギシという音をたて上下し、経糸も上下に動きその間を横糸がくぐるように渡り少しずつ布という平面になっていきます。
メタルやプラスティックを使った織り機が主流になってきましたが、木と木綿糸の織機の動く音とは違う音がしています。
昔々からこの地球に響いてきた音なのでしょう。長い間たくさんの布を織ってきたPapaが織機に座った時の音は、耳に優しく心地よい音が響きます。
織物に使う糸は、この一族の若者が遊牧した羊の群れの毛を
お年寄りと掃除をし、山を流れる水で火を焚き、その湯と水で洗い乾かし
原始的な小さな道具で人の手が紡ぎだしたものです。
一族でヒマラヤの森羅万象の中に生き、ヒマラヤの高地の草を食み遊牧し育てるところから糸づくりが始まります。
原始的な織りのプロセスは身体が動きを記憶し反復を繰り返すことで、宇宙や地球の声を聴く経験を語り継いでいる先住民がたくさんいます。
太古の人々の叡智という人類の記憶の渦に吞みこまれていくような感覚。
始めたころはその圧倒的な大きな渦の感覚に、心が潜りこみ溺れそうになっていました。
呼吸と身体に刻み込まれた動きが、大地に太古から流れている大きなエネルギーの渦と自分の自身の橋渡しをしてくれていると思います。
植物、昆虫、鳥、動物。他の生命から命の糧をもらい、また他の生命の糧となり、命をあけ渡していく。
森羅万象の中で人間に差し出してくれた命の恵みを紡ぎ織っていく。
「地球が与えてくれる恵みと愛を享受して、感謝と慈しみと共に暮らしませんか?」
大自然の中で古代から続く織物をしていたら、そんなメッセージが届いた気がしました。
地球と宇宙の響きは「愛情」そのもの。
地球と宇宙が作り出した完璧な森羅万象、それは愛に満ちたすべての生き物への贈り物でしょう。紡ぎ織って孫や家族に衣を作り、ヒマラヤの高地を静かをひっそりと歩き続けてきた人たちが今もひっそりと暮らしています。
大きな立派な家じゃなくて小さな家でも、シンプルな食べ物が飢えることがなくて、寒さがしのげる洋服があって、家族がいて大自然に対して誠実に謙虚な気持ちがあれば幸せに暮らしていけるよ。
人はいつか煙になって空へ還るとき、神様の元へは誠実に生きた心しか持って行けないのだよ。
織り終わった布を見ながら、いつもの見晴らしの良い場所で夕方を過ごしている時、Papaはそう話してくれました。