大晦日。サイやゾウのいたチトワンを離れて、バスを乗り換え、乗り換え、Nepalの山奥に住んでいるという友人を尋ねるという、この旅の最終目的地へ向かいました。
事前にバスの乗り換えなどを、チトワンのゲストハウスの方が、紙に書いてくれていました。その際に、目的地は本当に観光客もいないし、本当に大丈夫なのかと何度も聞かれるような場所でした。
道中、メモを握りしめて、ロ-カルバスに乗っていると、たくさんの人が無事にたどり着けるよう、導いてくれました。
朝から晩までバスに揺られ、運転手さんにここで降りるように言われ、バスのドアが開くと、友人のハリ-が暗いバス停で待っていてくれ、10ヶ月ぶりに再会できました。そこからハリ-の村までのバスは一日に一本ということで、その日は宿をとって、翌日のバスを待ち。
元旦、バスは山道を上へ上へと登って、信じられないような細くガタガタの道を、登っていきました。
このバスの沿線沿いには、外国人は政府から派遣された、国際協力の学校の先生が2人以前いただけだと言います。
それくらい、外国人はまれなようで、通りを歩けば、二階の窓、道路の反対側に地元の人が集まり、こちらを見つめていました。
バスをおりて、最後は徒歩で川を渡って、今は乾いている田園風景の広がる丘を超え、森を抜け、6件しか家のない村にたどり着きました。
村の細い道の脇には、野菜や果樹の茂る畑が広がり、ヤギ、鶏、バッファロ-が戯れていた。
旅の目的は、インド側のお山の村で私が帰れない間も、wool製品の制作は続いていて、出来上がったショ-ルや靴下を、Nepal から出稼ぎに出ていたハリ-が帰省する際に持ってきてくれ、更に村に招待してくれたのだ。
ハリ-と妻のヴィシュヌとは、インドの山の村で2年間、同じ家の隣同士の部屋で暮らした仲。
元旦の夕方に、村にたどり着く。
久しぶりに再会したハリ-の妻、ヴィシュヌと娘のソニア、そして、新しく赤ちゃんも生まれて、4人娘の大家族が迎えてくれた。
下の部屋に入ると、薪の火が燃えていて、暖かかった。
ガスも"かまど"もなく、部屋の中で囲炉裏スタイルで直火で食事を作る。
水道もなく水汲みに行く。
鍋、お皿、コップも最低限で、使ったら洗って、またすぐ使う。
夕飯は、さっき通ってきた道沿いの田んぼでとれたお米を火で炊いて。自分たちで育てたお野菜、そして、歓迎の証のしめたての鶏肉。
チャパティの小麦粉も自家製。
新年早々、命の輝き溢れる食事をいただき、身体が健やかに、豊かさを噛み締めているのを感じました。
木と石と土壁の茅葺屋根の家。
家具もなく、必要最低限で暮らしていています。
電気は裸電球はなんとか灯るけれど、電球と充電は同時にはできない程度。
寝床は土を塗った床の上に、米を脱穀した後の、わらをむしろに編んで敷き、その上に布を敷いて眠ります。
彼らが、温かいと勧めてくれていたとおり、真冬でも土の床とむしろで十分に暖かい。
インドやネパ-ルで、友人宅に泊まるとは、ベッドメイクをしてくれて、お布団までかけてくれる事がたびたび。最初は戸惑ったけれど、今では、友人の証として、布団までかけてもらっている。
彼らは、何も言わないけれど、お布団が新品だった。
ここの星空も、とても美しく、胸を揺さぶられ。
あなた達といると、私もシンプルに、ただ、きれいな水が飲めることに、お米が食べれることに、小麦粉の一粒が美しく輝いているように見えた。
こうして、2021年元旦は、豊かさを再確認し、噛み締めて、幸せを感じながら、4人の女の子たちと共に眠った。
シンプルな暮らしの中で、輝く瞳と笑い声の響く暮らしは、豊か。幸せ。という言葉を改めて感じさせてくださいました。
次の日からは、日中は、ハリ-がインドから運んで来てくれた、靴下やショ-ルの検品をはじめました。
一足ずつ、足を通して、大きさや、きつさを確認し。
留めの甘かった靴下は、一度、毛糸をいくらかほどいて編み直した。
二日間をかけてお直しをし、全部の検品には3日かかりました。
紡いだ糸には、一人ひとりの性格、そして、その時の感情や暮らしの様が現れる。
編み物にも、一人ひとりの性格も、情緒も現れる。
検品作業は、離れているインドのみんなの言葉にならない、深い部分を思い出し、伝えてくれた気がします。
インドの山からは郵便が送れないこの状況でも、インドやnepalには、いつも想定以上の方法で、なんとかしてしまう、彼らの底力を信じて、Nepalで、私なりに彼らを思って過ごしていました。
昨年は、インドの村では少ししか時間を過ごせませんでしたが、ほぼ、毎日、みんなと連絡をとって、ヒマラヤタイムで作業を勧めてきました。
このあと、元いたポカラに戻り、作業を進めて、日本へ配送したいと思います。
もし、私達のwool製品に、ご興味のある方がいらっしゃいましたら、荷物が日本に無事に到着次第、販売方法を公開いたしますので、是非、心の片隅に留めておいてくださいませ。
この村に、戻っておいでと言ってくれますが、一人で来てね。ネットには村の名前は出さないでね。と、彼らは言います。
同じインドの山の村で過ごした彼らとは、阿吽の呼吸でここの暮らしにもすぐに溶け込め、近所の村人たちとも仲良くなりました。
インドもnepalも、村の女達は本当によく笑います。
今日も近所のおばちゃんたちと、大笑いし、ふざけあって、あっという間に、本日、1月6日を迎えました。
糸を紡ぎ始めたときは、31歳でした。
それから、私の旅は、ますます個性的に、ますます秘境へ。
私事ですが、本日、誕生日を迎えおかげさまで、38年をこの星で過ごさせていただきました。
今日は、ビシュヌがもちろん薪でお湯を沸かしてくれて、相変わらずの、野外で湯浴みをさせていただきました。
今年初のお湯を浴びて、暖かいお湯が浴びられというのは、とてもありがたいことだと思いました。
ここでは、ケ-キもお菓子も売っていないけれど、心のこもった暖かい1日を過ごし、本当に恵まれているな。と心から思ったのでした。
ふわふわのwoolの塊から、どこからともなく糸が現れ、一筋の光の線が紡ぎ出されるように。。。
この美しい星を渡り、紡ぎ、謳えた今日に。
ひとしずくの水に。
太陽の光に。
暖かい炎に。
頬をそよぐ風に。
命を育む土に。
そして、出会い関わってくださった皆様へ。
感謝の心を忘れずに、この一年も、毎日を過ごせたらと思います。
本年も、皆さまよろしくお願いいたします。
愛と感謝を込めて。
2021年1月6日 from Nepal
柴田 睦美