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さて今は、インドに向かう飛行機の中。
自分の思いが伝わるように、ゆっくり丁寧に書いてみたいと思いながら、上手くできるかな?と書き始めています。
【肉体に起こっていたこと】
2月のフライトチケットを2度も延期して、今、やっとインドに向かっています。
2023年12月の展示会前、展示会中、体調が悪く全身の痛みや目眩などありました。お話会が終わった瞬間、ほとんど動けないなんて事もありました。
その後病院で検査をし、すぐにおかしな数値が見つかり再検査さらに再検査、転院して診てもらう。と、予約していたインド帰国日までに検査も治療も終わらなかったのです。
結果は、この生活の身体への負担が大きすぎるのではないか。という事でした。
ヒマラヤの空気も水も土も不純物が少なく、動物も植物も古来種ばかりの食べ物をいただき村の人と同じように暮らし10年になります。
皆さんも季節の変わり目は、身体がしんどかったりすると思います。
同じようにヒマラヤと現代社会の往復の激な変化は、身体に大きな負担として蓄積していたよう、内臓に負荷がかかっていたりしたようです。
標高2500m以上の商店も水道もない状態で暮らのは大変で、数時間の道のりをお店まで歩いて山を降り、荷物を背負い山を登り帰ってくる消費カロリーと、持って帰ってこれた食料のカロリーどっちが多いのかな?
水汲みや草刈り、羊毛仕事も肉体労働が山盛りの日常生活でした。
日本に戻って一月半経過した時の血液検査でも、栄養失調の血の状態でした。
ロックダウンは1年半ネパールに居ました。
インフラの整っていないネパールのロックダウンもなかなか過酷で、食料品が手に入らず何曜日の何時にあそこのお店に食料が入荷されるらしい。と聞いて、大きなリュックを背負い遠くまで歩いて買い出しに出かけた時期もありました。周りにいた西洋人のツーリスト達もみんなどんどん痩せこけていきました。
久しぶりに連絡を取ると、祖国に帰ると色々贅沢なものを食べてしまって〜、と、健康そうな姿を見せてくれます。
私は気力でどんどん先に行ってしまう所がおおいにあって、「やる気だけはあります!」とヒマラヤでもよく言っていました。
この数年体を大切にしていなかった。と、改めて思うのです。
心や魂の望みを現実化させてくれる、大切な身体という尊い存在に感謝しよう。と、改めて感じています。
インドの考え方で
「この身体は自分のものではなく、神様からの借り物。だから大切に使わせていただいて、いつか神様にお返しする時にきれいな状態でお返ししましょうね。」
と、いう考えがあります。ヒマラヤの村のみんなもそんな教えを信じています。
いつか肉体を離れ光に還る時まで、このお借りしている肉体をどうやって使わせていただくのでしょう?
ヒマラヤの村人たちからは、この地球という星に対してもそのように向き合えている気がします。
自分自身の肉体にそう接する時、この星にもそうやって接することが出来るのでしょう。
頭ではわかっているつもりでも、神様からの神聖な借り物という事をつい忘れて、この身体は私のモノ。と、なってしまう私です。
【旅人の現実】
ヒマラヤに暮らすと言うと聞こえは美しく素晴らしい生活を想像する方もいると思います。
「遊びに行きたい。」と言われることもありますが、現実には観光客の方を受け入れる用意の無い村は食事も生活も登山道もしきたりも非常に過酷です。
旅人=緩い。ひょうひょうとしている。等、言われる事もありましたが、私の場合は真逆でした。
西洋諸国やインドの山奥などで「生活」をしていくには、大自然の中で生きるスキル、生活に必要な金銭を生み出すスキル、必要書類を日本以外の国でも製作するスキルなど。をゆっくり身につけていきました。
旅中や山登りの最中、仲の良い友人が病気、怪我、事故にあったり、時には亡くなってしまうこともありました。そんな時も、外国だからできない。とは言えず、落ち込んでいる余裕もなく、ただただ、自分の出来ることを逃げずにこなすだけで精一杯でした。
たくさんの国を行き来すると、経済発展の仕方の違いを目の当たりにします。
日本は輸入大国ですから、時に日本への輸出品の製作の現場に立ち会ったりします、そこでは、たくさんの農薬が使われていた、現地の人良くない労働条件で驚くほど安価な賃金で働いていたりするのを見て、彼らの話を聞くこともありました。
ただ、その人達が悲観しているかと言うと、そうではなくて、道端の物乞いの方でも、毎日元気に笑顔で挨拶し合う関係の人もいます。
身体が不自由で物乞いで可哀想という思いより、「身体を引き摺っても毎朝早くから出勤して、笑顔で物乞いをしてすごい人だな」と、素直に思ってしまうような人達にインドで沢山出会いました。
食事が食べれて、家があって、車もあっても、満たされることなく、まだまだ欲しい欲しいといつまでも満たされぬ方たちも、沢山いる中で、どのような状況でも心はみんな自由だ、幸せは外の世界ではなく自分のうちにあるのだと、インドという国は感じさせてくれます。
長い旅の中で世界には不条理がはびこっている、その現実に闇堕ちしそうになる時もありましたが、思考で理由をつけて肯定したりせず心を閉じずに見ていると、相手の心や魂が見えて来るように思います。
物乞いの方とも、お金を介さず心と心。魂と魂で向き合うことはできる。と、実感するようになってきました。もちろん今の自分になるまでは、様々な葛藤があったし、今でも大きな葛藤を抱く時もあるのですが(笑)
【立ち止まって浮かんできた心】
インドへのフライトまでの間は来年の展示会の準備「生み出さないなんてありえない」相変わらずな日々を自分に集中していました。2024年12月頃お披露目できる予定の作品達の試作し、想像し、創造する。日本でしか見ること聞くことが出来ない美しいものに触れることが出来たり、身体の状態とは関係なく喜びと幸せな日々でした。
長い間、病院も歯医者も日本に帰らずに済ませたかったのでインド、タイ、USA、オーストラリア、ネパールと各国にかかっていました。今思うとなんであんな無理をして日本に帰らずいたのだろう。そんな時期もあったのだな。と、随分長い月日、旅という暮らしを続けて来たことを思います。
日本に4ヶ月も滞在するのは10年以上ぶりかもな〜と思い、日本に里心というか、愛情がかつてなく湧いています。
水道がでたり、エアコンがあったり、車に乗れて、美味しい湧き水も海も山もある、そして友人や家族の存在。
ヒマラヤでの暮らしで目の前の全てに感謝が溢れるのと同じように、日本にもそれはあって、感謝が込み上げて来る日々でした。
私は湘南で生まれ育ちました。
2024年の春分の日のには「海から昇る太陽や月を見れることは、本当に尊い事なんだね。と、日の出を眺めながらその尊さを語り合い、この星を生きるんだ。私は感謝して生きるんだ。」って夢の中で思いながら緩やかにフェードアウトする様に目が覚めたら朝5:00で、朝日が登る時間は日向ぼっこをして出勤。というヒマラヤと同じ日常を過ごしました。
2007年から旅を始め収入も旅の中で工面し続け、やりたいことを精一杯しながら2024年まで生きてこれました。
命の危険や辛い体験は何度もありました。
若い時は西洋国でトラブルにあい、1文無しに何度もなって破棄処分で捨てられている食べ物を、漁って食べた事もありました。
山登りの最中に事故にあったり死にかけて臨死体験をしたり、対人的に危険な目にあうこともありました。
着のみ着のまま、夜になると砂浜の気に入った木の下でテントも張らず、砂の上にゴザをひいて波の音を聞きながら星空の下で布だけをかけて眠る。夜光虫の輝く海に潜ると体中が光って紋様が出るように見えたり。
ティピ(アメリカ先住民の移動式テント)の中から出ると、湯気の出ているクマのフンがティピの目の前に落ちていたり。
大自然の中で生きている。って深く感じる日々を世界各国でしている中で30歳にになった頃、出会ったのがヒマラヤの遊牧民の村でした。
今日はここまで、まだまだ続きます。