山の暮らしにもどってきました。

日本に戻るため、山を降りたのは、雪の降る頃でした。
それから3か月を日本で過ごし、こちらに戻って、まず最初の作業は小屋を開けることでした。
私の棲んでいるところは、本当にシンプルな掘っ建て小屋なので、いない間に、たくさんの住人が住み着いてしまいます。

煙突には、小鳥が巣を作ったようです。
羽ばたく音。爪で煙突の中を掻く音。
ピヨピヨしたさえずりが、部屋の中に響きます。
小鳥は朝早起きで、最近はその音で朝目が覚めます。

ネズミも子供を産んだよう。
最初の夜は、ネズミのエサを探す音で眠れませんでしたが、二日目からは、それでも眠れるようになるから、自分自身に驚くのです。
なぜか、子ネズミたちは、私の布団の中に入ってこようとするので、寝ぼけながら、首元から布団に入ろうとするネズミを何度も振り払った記憶が夢の中であるのです。
そして、朝になって布団をたたむと、敷布団の上でつぶれて死んでしまったネズミを2回も発見しました。
私が寝ながらつぶしてしまった。。。と思うと、申し訳ない気持ち。
ずいぶん食べ物をネズミさんに食べられてしまっているので、やっぱりネズミさんとは一緒に住みたくないのですが。
どうして、布団の中に入ってこようとするんだろう。
それに、髪の毛や顔の上を寝ているときに歩かれるのは、心地よくないのです。。。

蜘蛛や、他の名前も知らない虫達も、部屋の中でたくさん卵を産んでいました。
残念だけど、それらもお外に出ていっていただきます。

冬から春にかけては、冬眠していた動物たちが目を覚ますのですね。

そして、部屋の外では、たくさんの植物たちも目覚めいます。
色とりどりの花が咲いていますよ。

今はアプリコットが色づき始めました。
もう少ししたら、アプリコットの酵素ジュースを作ろうかな?
それとも、梅干しの様にしてみるか?
下の方の村から、保存食用の大きな瓶を今年は持ってきたのです。

畑には、麦が小麦色に光っています。


野を歩けば、野草たちが芽を出していて、それを摘みながら歩きます。


毎年同じ場所に、食べれる野草たちが生えていてくれるので、食べ物も道すがら調達しています。

こちらは標高が高いので作れるものは限られて。
今の時期の畑は、ジャガイモ、ネギ、カボチャ、キュウリ、そして、お花までも、果樹の茂る合間に、全部一緒に植えられています。

ヒマラヤケシの種を取るため、畑に放置されています。
これは、雪の時期に蒸しパンの中にペーストにして食べるのです。

3か月の間にヒマラヤの村には、雪が解けて、春が来ていました。
見える景色は、少し上の山並みはまだまだ、雪に覆われていますので、ここもまだ、少し寒いです。

雪に覆われた3か月を超えて、その間、土の中や、家の中で眠っていた生命が、起き上がって輝いているようです。

外に出ると、食べ物がたくさんあります。
私は、外に食べ物があると精神的にとても安心するのです(笑)
豊かな自然の中で、地球にちゃーんと食べさせていただいているなぁって。
それは、とても幸せなことです。

食べれる食べ物は、質素だし、選べません。
そこに生えているものを、ある時にいただく。
そんなシンプルな暮らし。
ずいぶんこの土地にも慣れてきて、どの時期に、何がどこで取れるとかわかってきました。
そして、それを保存しながら、食いつないでいく。

大きな、神事が1週間続いているので、今日一日で、羊とヤギ、2匹の命が神に捧げられ、村中みんなで今晩いただくことになっています。
残酷なようですが、こうして、ずっと生きてきました。
生まれた時から、大切に、大切に、一度も紐につなぐこともなく、毎日遊牧して育ててきた、家族の一員だから。
神様に捧げ、みんなで分かち合います。
これも、いいとか、悪いとかジャッジできない、この土地の文化で生き方です。

大自然や、他の命は私の大先生で、鳥や虫、他の動物から学ぶことがたくさんあります。
こうして、野生の生物たちと、常に触れ合うことで、その生物たちが持っている、遺伝子と情報交換しているのかもしれません。
野生の食べ物をいただいて、その植物たちが繋いできた遺伝子の情報を、体に取り込んで。

車や機械の音が全然しないので、鳥の声や、木々のざわめく音、草のさざめく音、そんな音たちに聞き入っています。
集合意識という観点では、ここでは、ほとんどすべてが野生の生物たちです。

3か月日本で過ごしてきた、私はというと、高山病に軽くなっていました。
村の人たちも、1,2か月すれば、いつもの状態に戻って、たくさん働いても疲れなくなるよ。と、理解してくれています。

ここにずっといると、この非常にありがたい状態が当たり前になってしまうけれど。

時々に日本に還ると、現代文明のありがたさも痛いほどわかります。
洗濯機がないいんだ~~って思い、一日の生きるリズムが大きく変わり。
ふかふかの布団で、ノミにに刺されることもなく、ネズミに顔の上を歩かれることもなく眠れる幸せ。
朝起きるとネズミさんが、布団の中で息絶えているなんて、驚くべき出来事は日本ではなかった。
それも一つの幸せの形で、とっても恵まれてるな~って感謝の気持ちが溢れてきます。

そして、この場所の、ありがたさ。も、外に出ることで、身に染みて感じます。

ヒマラヤは、生きると死ぬがやっぱり近くにあって。

生きる。
全ての命が、力強く必死に生きてる。
その姿が、儚く、美しく、心の響きます。

と、心に強く響いています。

他の多くの尊い命のおかげで。
水、風、太陽、火、土。
大自然の生み出す奇跡のおかげで。
私たち人間は、ヒマラヤでも、日本でも、生かしていただいていたんだな~って。

改めて日本から帰って、強く感じておりますヒマラヤの春より。

全ての生命と、この奇跡の循環に感謝を込めて。

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