「掃除」
毛を刈り取った直後の原毛は汚れがたくさん付着している。羊の排泄物や草が絡んでいるので、洗いの作業の前に汚れを取り除きます。
野山を遊牧すると羊毛に覆われたふわふわの体に、たくさんの草が絡みつきます。インドに来る前のオーストラリアで見た羊達は、木も草も1本も生えていない管理された柵の中で飼料の餌だけを食べていた。そのように育てれば、毛に草木が絡むこともないので掃除は必要ありません。オーストラリアの旅で日本に輸出される牛の飼育現場、羊の現場を時間をかけて観察し、世界の流通の真実を目の当たりにした後で、ヒマラヤの遊牧民が野山を自由に羊を歩かせ、絡んだ草木は人が掃除する様子を見て、自分の心に嘘は付けなかった葛藤の一つの答えの気がしました。
夏に遊牧地の4000Mの遊牧地は森林限界の上、植生は小さく柔らかい高山植物のみしか生えていないので、草木の絡みも緩やかで、羊に適した気候がふわふわで柔らかい羊毛を育むのだよ。と、羊飼いは誇らしげに自分の家畜を自慢します。
現在も丁寧に手作業で掃除をしているので平均10㎏に180時間くらいの時間をかけ、掃除を続けています。
掃除という作業の善し悪しで、その後の“洗い” “紡ぎ” “織り” “編み” 全ての作業の潤滑さ美しさが決定してしまう。と言っても過言ではないくらい重要な作業なのです。
この地味な作業を、丁寧に淡々と続けられる人はそうはいません。
掃除を頑張るのは羊飼いの生き方に、伝統の手法に誇りを持っているから。
羊を育んでくれた大地、羊達、衣となった時に着てくれる人。への愛情が手を動かし、この地上と大いなる存在への畏怖の表現しているんだ。と、何年も何百時間も師匠と共に作業して私は感じるのです。
「洗い」
ヒマラヤを流れるあるひとつの渓流。その上流には人が住む場所はなく、4000m以上の標高から氷河の雪解け水が流れる場所。そして遊牧地である高原へと続く登山道。朝日が見える範囲でいちばん早く差し込む場所。土地が肥沃である。そんな完璧な条件の場所に遊牧民は村を作りました。
氷河から流れてくる渓流が1番最初に人の里に触れる村となりました。
渓流に石で堰を作りプールにし、その横で薪で火を起こし湯を沸かし油抜きをし清流でよく洗います。
水の中で丁寧に羊毛を広げ、水中でふわふわと原毛を揺らすと、繊維の間から汚れが流れ落ちます。
お湯の温度が高いと原毛はフェルト化し、もう二度とフワフワに戻りませんし、余計な油分は落とさねばなりません。
掃除と洗いの具合で、糸の紡ぎやすさが変わり、織物や編んだ時の出来上がりの風合いも決まってしまいます。
羊毛にはラノリンという油脂が含まれていて、皮膚を柔らかく保湿するという作用があるそうです。その油分は撥水性と防風性を兼ねたアウトドアに優れた性質を持っています。しっとりとした肌に優しい質感を保ったセーターやショールを作るためには天然の油脂を含ませたまま、美しい大自然の中で育まれた微生物も殺さないように手作業で丁寧に洗います。
8時間以上同じ姿勢で冷たい雪解け水の川に手足を浸し洗っていると、余計な思考は水と共に流れてしまうようで、すっきりしてくるのです。ただ「川で洗濯」というと、聞こえは昔話のようでほのぼのしますが、背中も股関節も酷使する重労働です。
毎年数十kgの羊毛を洗ってきました。
洗いの作業は、Kimtyさん一族のPabnaさんと行っています。彼女は羊飼いの娘ですから、洗いの作業も幼い頃から手伝ってきたようです。何年もペアを組んで洗っていますので、火を起こしながら、洗い、干し。が手際よく進んでいきます。
洗った後羊毛は水分を含んで重いので、石の上に置いておくと、水が自然と落ちて脱水され軽くなったところを、川から家に背負って帰ります。3日間ほど天日に干し、カーディングをしてやっと紡ぐことが出来る状態になるのです。
糸を紡ぐ以前の工程は地味で時間もかかります。その工程を丁寧に丁寧にするかで作品の風合いが決まってしまいます。
自分で遊牧に出て、糸を紡いで、織って。何年も共に過ごし自分の分を製作したからこそ、この重要性に気が付き、自分や大切な家族が着るかのように、手間暇惜しまず製作するのが“ BellaTerra ” を、共に始め続けている村のみんなの誇りとポリシーです。
「コーミング」
乾燥までが終わった羊毛。次の作業は紡ぎ??
いいえ。羊毛をふわふわにほぐし繊維の向きを整えるコーミングという作業が待っています。
昔は手作業ですべての羊毛をほぐしていたようですが、カーターというブラシを使ってコーミングするようになりました。とても大変な作業なので、最近は電動で櫛のついたドラムが回る機械を政府が導入し60㎞離れた場所で、一キロ単位でコーミングしてもらえるようになりました。丁度、精米機が地域に一つあるような感じで、この州全体に一か所だけ共同コーミング場があります。これは政府がこの地域の伝統の技術と文化を残していく活動のひとつでもあるようです。同じヒマラヤ山脈の続きの隣国ネパールでは、このコーミングの機械がなく私の尋ねたアンナプルナエリアでは、羊飼いの家族ですら、洗いも糸紡ぎの仕方ももう随分昔で終わってしまった。と言っていました。今は原毛は中国から買い付けの商人が来て洗っていない状態の原毛をその辺一帯で一気に買い取って、中国国内の工場で紡績している。と、数件の羊飼いを訪ねましたが同様の答えが返ってきました。
原毛を求め糸を紡ぎながら、色んな国を旅してみると、そこにも、国際事情、世界の貧富の差、グローバル化というシステムの縮図がそこに現れていることにも気が付きました。
自分の育てていた羊。草刈りから毎日の小屋の掃除も全部Kimtyというおばあちゃんと一緒に育てた羊を1頭分、全て手作業でコーミングして紡いだ時の手記の写真をここに。
私は。。。
ここに来るまではスピリチュアルって、感覚世界の見えない話だと思っていたの。
でも、ここに来て鎌を持ち原野の斜面にたって草刈りをしている時、風、土、草、太陽。そこにスピリットは存在していると、落ちたら終わりの崖で全身で感じたなにか。
その草を食べて、毎日瞳を合わせる羊や牛から伝わってくる何か。
その牛にお乳を毎日飲んで、その羊の羊毛を自分の手で、紡いで、織って、その時に感じた何か。
そういう、肉体を大自然の中で原始的な営みに委ねた時に森羅万象の中で、今、生きてるって感じた。そこに自然の中の大いなる存在を感じ信仰している彼らと共に、山に祈り、草に祈り、水に祈り、収穫に祈り、自然と彼らと同じ原始的山岳信仰をするようになっていたんです。
自然とおじいさん、おばあさんの隣に座って昔話を聞き続けるうち、自分の感性が先住民のお話を疑わずに受け入れてそれと同化し始めていました。
彼らは当たり前のように、だって神様が棲んででいるから。そうなるのはしょうがないよ。といいます。