ヒマラヤに住むってどんな感じ?って、一言で言ったら。目、鼻、口、耳、触覚。人間として持っている力を最大限に引き出して、自然と対話して調和して生きのびる。という感じなのかと思います。肺も、消化器も、脳も、すべてを最大限に活用していないと、過酷な環境では、命を落とすことは簡単です。


日本に来て、携帯を持たずに暮らして都内の乗り換え。会場への移動。何か何まで、サバイバルな感じがして、私のヒマラヤ仕様の脳は喜んでいます。何をするにも前日にチェックして、メモに書いて、公衆電話探したり、人に聞いたり。 日本語は話せるけど、ヒマラヤから外国に来た~~~という感覚で、毎日が大冒険。アトラクションのようで楽しいです。 

そんな私の変態思考のおかげで、たくさんの方にお世話になり、迷惑をかけ、周りの人はいい加減にして。と思っているかもしれないし、危なっかしいと思っているかもしれないです。
でも、私の動物的な勘を閉じずに歩いていくと、東京など大都会は海みたいに流れがあって、泳ぐように流れを読んで進んでいく感覚がしたりします。


私は外国にいるとき、ヒマラヤにたどり着く前から、ずっとUmiという名前で呼ばれています。

ヒマラヤの村でも、“本当の名前” “呼び名” 二つを、みんなが持っています。

Mutsumiという名前を使うのは日本のなかだけ。ヒマラヤの村でも本当の友人だけが、Mutsumiという名前を知っているし、私も彼らの名前を知っています。そんな文化を何の抵抗もなく、当たり前のように受け入れていました。

私の公表している名前が MutsumiUmi なのは、日本にいるとき、そして、ヒマラヤにいるとき。同じ自分でいることは不可能で、でも、どちらの自分も存在することを許したい。と思って、MutsumiUmi と、名乗っております。


写真は、ヒマラヤから降りる前に、私も含めみんなで織ったショールをつけています。
この写真に写っているのは、間違えなく Umi です。
共に暮らす、羊飼いのおじいちゃんの息子さんが撮ってくれました。 その方は村で一番写真の才能があると思います。


これが、羊飼いの感性です。


愛と感謝と祈りを込めて

全ての存在が幸せでありますように

MutsumiUmi

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