はじまりは。。。

偶然の雪のせいでした。

(2016年1月にFBに投稿していた文章より)

それは、まるで物語のように始まったのです。
私と、紡ぎとの出会いのお話を少しだけ。

マハトマガンジーがおっしゃっていたように、紡ぎには計り知れない、何かがあるような気がします。
私にとっては大きな大きな革命でした。
自分で、糸が紡げたら、セーターも、手袋も、帽子も編めてしまいます。
しかも、すっごくあったかい◎
自給自足的生活にあこがれ続けている私ですが、意外と紡ぎって簡単で、都会でも、田舎でも場所を選ばずにできちゃう。
心が落ち着くんですね。

2014年、12月のこと。どんどん寒くなる北インドヒマーチャルプラディッシュ。お友達家族が、タクシーをチャーターして水晶の買い付けと、山奥の秘湯に行くツアーに行くという事で、便乗することにしました。

初めてその谷に入った時、初雪が降り始めました。
最初は1週間くらいのつもりでいたのですが、雪がひどく降り続き、その日から3週間位、谷全域で大規模な停電になりました。
現金がなくなって、ATMももちろん使えず、宿代も払えず、移動もできずとどまることになったのです。

白銀のヒマラヤの谷は、朝も昼も夜も美しすぎました。
特に、大規模の停電と凍てつく寒さのおかげで、夜の暗さと静寂の深さは図りしれないくらい深く、深く、幻想的で。
雪山の夜の星の輝きは、星と星がお話ししてるのが聞こえるようでした。


言葉にできないくらい美しい。

太陽の出ている時間は、村々を歩いてめぐりました。
そこでは、昔ながらの山の村の暮らしが残っていました。

家の煙突からは煙が上がり、ロバや牛を追い歩く人達。
麻は薪を拾いに出かけ、日中は、日向に座りおしゃべりしながら、羊毛を紡いだり、編んだり、機織りをしたりする女性たち。

インドの前に旅していた、オーストラリアのタスマニアでウールの紡ぎに出会いとっても憧れていた私は、その光景に恋に落ちてしまったのでした。

そして話を聞くうちに、村の人たちがこのような仕事をするのは、雪の季節のみで、雪のない季節は山や畑の仕事が忙しいから、もし習うなら、厳冬期の今の時期だよと勧められたのでした。

紡ぎを始めようにも、今は、その地方でも紡ぎ離れが進んでいて、紡ぐ道具もお店には1週間あらゆるお店に聞いたけれども見つかりませんでした。

知り合いの村のおばちゃんにいただいて、ウールも羊飼いファミリーから譲っていただいて。ゆっくりとその地域のになじんでいくようでした。


いつも紡ぐ道具持って歩いて、紡いでる人を見つけては教えてもらい、チャイ屋さんでも。道端でも。どこでも、かしこでも。。。

紡げる人を見つけては、教えてもらい、本当にたくさんの人に教えてもらったのでした。
そのうちに、紡いでるウールにも質の差があることが分かってきました。
そこで、ウールはありますかと、村々を聞き歩く日々が始まりました。

なかなか外国人の私には、ふわふわのウールが見つからなくて、宝さがしみたいな日々でした。
そんな毎日を過ごすうち、一月も半ばを迎え、雪の寒さも本当に厳しい時期がやってきました。


その頃、私は、谷の奥の奥の方のとある村、深く積もった雪山の道を数時間歩いてやっとたどり着くような村にいました。
全ての水は凍りつき、溶けることはありませんでした。
毎日、水を溶かして飲み水を作り、薪を割って蓄えて。
晴れた日の太陽が、どれほどありがたかったことか。
初めて見たダイヤモンドダスト、大きな雪山と青い空と清い空気。

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2016年にこの村を訪れた時の写真



太陽の出ている日は、羊飼いさんの家の、日向に座って、靴下の編み方を習っていました。
日が暮れたら、ご飯を作って、夜はタンドリの日にあたる。
雪のこの時期でも、毎朝、草を食ませに羊を連れて山を歩きに行く。
彼らは、冬のために夏の間草を刈って貯めています。それでも、晴れた日は、羊と共に歩くのです。
夜は、山からチーターみたいな獣が来るからと、家の軒先で眠る。
大変な仕事なので、深刻な後継者不足のようです。

それまでの旅の中で、先進国の農業、家畜の飼い方に疑問を感じていたのですが、ここでは、羊と羊飼いの絆が見えるようで、それは、昔読んだ本の一場面のようで、2015年のこの世にも残っていることがうれしくて、愛おしくて、この変わりゆく世の中で、いつまでも、いつの世までも続きますようにと心から願ったのでした。

雪のまだ残る谷に春が来ました。
白い雪の残る谷に、新緑のなんと鮮やかだったことか。
雪解け水は長く閉ざされた、雪の時期の心をも溶かすかのようでした。
鳥は歌い、植物は一斉に芽吹きはじめ、共に、冬を越した人たちの顔には、春の光共に輝く笑顔。

春の訪れとともに山にも活気が戻り、村の人たちは、種まきの準備で忙しくなり、みんなそろって畑へ出かけ、日向に座って、織物や編み物をする人たちの姿は見えなくなりました。

私は靴下が編めるようになって、自分で紡いだ毛糸も、何とか編み物に使えるくらいのレベルになっていました。。。

そして、ビザの期限が切れてしまったので、また戻ります。と、みんなに話して隣国、ネパールへ向かったのでした。

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初めてのインド旅行で、偶然この谷に着くまでは、織物の事も、糸紡ぎの事も、ましてや、羊飼いや山の民の暮らしも、自分がこんなに夢中になるなんて思いもしていませんでした。

最初の頃は、古い虫が湧いてしまったウールしか見つからなかったり。

何より、言葉も風習も分からなかったので、何とか熱意で村人に近寄っていっても。。。外国人なので追い返されたり。。。

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2014年の写真で探し出せた、1枚だけの写真。このおばあちゃんとは今も深いお付き合いがあります。

この写真はこのおばあさんmanormaさんの小さなレストラン。

座っている床の下には天然温泉のパイプが通っていて、暖かいで寒い時には時々長居をしながら糸を紡いだり、編み物を教えてくれました。

この時、このおばあさんは、後の師匠となるkimti。そして、今のプロジェクトを一番に理解しサポートしてくれている親友になるAnita.を紹介してくれました。

あの頃は、FBに書くことも写真を撮ることもしていなかった様子。

ただ、彼らの隣に座って、糸を紡いで、靴下を編んで。山の暮らしを体感して、その厳しさと、美しさに圧倒されていたんだろうな。

インドの前には、アロマセラピー、植物療法、パーマカルチャー、オーガニックコミュニティーなどをテーマに、日本、オーストラリア、カナダ、東南アジア、様々な国をウーフなど長期滞在をしながら旅をし、また旅先で農業や水産業など季節労働をすることもありました。

日本での農業のバイトをした後に見た、他国の大規模農場の様子には驚きました。広大な森が切り開かれて、見渡す限りまで、同じ幅で、同じ作物が並んでいて、農薬の散布の仕方など実際の目で見て、工場みたいだな。。。と感じたのを覚えています。

最初の年は、この場所の本当の素晴らしさも、文化の深さも、知らなかったけれど、ただ何かに強く強く惹かれたのを覚えています。

羊飼いの暮らしが、ヒマラヤの大地が、こんなにたくさんの事を伝えてくれるとは想像もしていませんでした。

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初めての長編投稿に挑戦しています。

ゆっくり更新していきますので、よろしければ、続きも読んでくださいね。

May all beings be happy

LOVE and LIGHT from deep my heart...

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