8月31日は、若者の自殺件数が年間最多の日だそうです。
自死。と、向き合ってその先にある生き方をご紹介するような、本のクラファンのお願いと信愛なる出版社さんの紹介です。そして、今の日本では見過ごせない大きな問題ですので、一人一人が正解はない問いに向き合う必要性を感じ文章にしてみます。
貴方は死にたいと思ったこと、行動に移したことありますか?
私はあって、最初は中学2年生の時、普通に友達もいたし、成績も悪くなく自分なりに楽しんで生きていたと思うのだけど。お互いにジャッジしあったり、上に見たり、下に見たり。満たされない何かを人に求めて怒ったり、喜んだり。人間関係ってゲームなのか?人間ってそんなことしないと生きていけんくらいバカなのか?人間なんて下等生物やってられない。って、まじめに冷やかに真剣に思っていた.大人になっても、そんなおバカなゲームが続くって中学生なりにわかって、だったら汚い大人になる前に、きれいな子供のうちにこのゲームから降りよう。と、中学生なりに思って明確な意思と共に悲しみとかの感情の高ぶりもほとんどなく整然と実行した明確な記憶がある。たぶんそれも夏の事だったな~
母はどうしてそんなことをしたのか聞いてくれて、だって、保護者だって先生だっていじめしあってたり、一生そういうゲームに参加しなきゃいけないなら降りるよ。と正直に伝えた気がする。
母は中学生の私にも有給制度というものを提案してくれ、今日は有給とります。と、自己申告制の自由を中学生にして家庭内でもらった。
その頃の私の興味は、本、映画、スポーツ、畑、庭仕事、料理、裁縫。図書館に行って調べては、野菜作りも料理も裁縫も自分なりに取り組み、読書もいっぱいした。とにかく体力の限り、情熱的に本を読だり実践していた。
自分の文章も書き続けていた。丁度、神戸で『サカキバラセイト』と名乗った少年が犯した犯罪が問題になっていた。テレビのニュースで流れる報道を見て、その趣旨やマスメディアの報道の仕方に疑問を持った中学生の私は、テレビ局に文章をFAXで送った。『サカキバラセイト』と、同じ年だった私には、すぐにテレビ局から取材の申し込みが来た。 その放送を見た時に、手書きの文章は切り刻まれ、編集者の都合の良いように繋がれて別の意味を持ち、音声も繋がれ主旨の違う内容として放送されていた。映像も、音声も、文章も、編集者の都合のいいように改ざんできると、中学生で自分の体験を通してマスメディアというものをよく理解した。
我が親は私が中学の時から、単位数や授業の内容などを考えて、有給は取れるけど自主学習の計画は立てて、有休をとる背景には自分の責任で自分のプロジェクトの概要を把握する。という、社会の大人も有休をとる際に配慮するその裏にある責任をも課して、中学生からセルフマネージメントの選択が生活の一部にあった。本の中には、学校でも家族や身近な人でも、教えてくれない智慧も価値観も思想も、美しいものも真っ暗なものも、一冊ごとに世界があって、それが並ぶ図書館は大好きな場所だった。子供の時は目に見えてる世界が、精神の創造のすべてだった。私には、本が美しい世界をたくさん教えてくれた。大人になっても、子供の時の純粋な思いは絶対忘れないで、変な大人にはならない。って、子供ながらに書いていた宣誓の文章もノート一冊分には収まらないくら書いたんじゃないかな?学校に毎日通うという習慣はなかったけど、毎日勉強する習慣はあったので成績も悪くなかったし、その後の入試も順調で、社会人になってからも資格取得や興味のあることを学び続けて、言葉も3各語習得し読める本の量が増え幸せは増えるばかり、今は4各語目を学び始めようと思っているよ。常に、文学や芸術、大自然の美しさを探求することができる人生を選択行動しています。でも、自由と自己責任はいつも一緒だから、自由になればなるほど、責任と学ばなければいけないことは、大きくなるのかもしれないね。
2回目は、ヒマラヤで4200Mまで120kmの徒歩のトレッキングに出かけた時。高山病がひどくて、何日も水も飲めなくなって、4200Mって死も生も自分の中に内包しているって感じさせてくれる世界で、弱り切った体は臨死体験みたいな感じを体験したときに、歩くこと=生きること。眠る事=生を終えること。みたいな選択の瞬間があって、私は眠ることを選んだんだ。状況的に仕方がなかったとはいえ、自分では生を継続させることができないとわかった時、決断し受け入れかけたんだ。人生でトップスリーに数えられる穏やかな瞬間だったと思うよ。その時は、私を丸2日間背負って歩いてくれた人がいて、生きて下山することができたんだけど、ほぼ意識のない状態で担がれながら色々考えて生きて下山でき後、遊牧民の文化を存続させながら世界に発信していくBellaTerraというブランドを立ち上げた。一度は自分の手を離れた命だから、それからは、この大地の物だと思って有意義に大切に日々を重ねるという、人生の大きな経験をヒマラヤと遊牧民にさせてもらいました。
思春期から書いて書いて書き続けて、本も読みまくり、そして、良き人のご縁があって風鯨社という出版社さんと、鈴木美咲さんという編集長さんに出会った。
私の表現したいこと、少し人と違う大自然と先住民と日本という、極端なエッジを移動しながら見ている世界を、みんなにわかりやすいように考えてくれながら、本を執筆し始めてもう1年半くらい。鈴木さんは一人出版社さんなんだけど、とてもいい本も出版しています。
大きな組織に属することには利点も欠点もあって、本というものを、芸術、人生の輝く宝石のような尊いものと利益を考えずに出た本と、組織の中で必要な責任である利益率などを考えて販売戦略も練られ売れるように作られた本。売れる本を書いてくれる作家さんと、こだわりの強すぎる芸術志向の強い作家さんの本、私もどちらも読んできまし、どちらも正直好きなのですが。では、本が大好きで一か月に数万円づつ本を買い続けてきた私が、ミニマリストとして生活を変える中で、処分されずに人生の記憶として残せたのは数冊で、風鯨社の鈴木さんはそういう本を出版している。そして彼女はそういう美しい本や、作家さんをたくさん知っていて共有してくれる。私にとっては、きれいなシーグラスがたくさん漂流する秘密の海岸を教えてくれる。ようなもの。
中学生にしてマスメディアを知り、映像も音声も文章も社会的意図によって切り取ってつなげられ、仕立て上げられるというマジックを体験したので、大手の出版社などと関わること自体に興味がもうなかった。取材に嫌悪感のある私は、基本的にそういうものとは距離を置いて暮らしているけど、それでも信用して受けてみた2件のラジオの収録の依頼は、2件ともオンエアの日にちをこちらに報告してもらうこともなく終わった。それは、昨年と今年のこと。中学生の私がそういうものだよ~と、内側から眺めている気がした。
だから、鈴木さんの様に真摯に出版に向き合う人に出会えたのは、大きな大きな喜びだった。
本が大好きだから。本の生み出される過程が純粋に研ぎ澄まされたものである。と、思えることは大きな喜びにつながった。だから、実際の現場にいるから、みんなに知ってほしいなって思う。
美咲さんの、風鯨社さんが次回発刊する本は、自死。についての本。出版、執筆って、儲かると思っていたけど(笑)出版って、すごくお金がかかる。という事を、実際に執筆してみて知りました。でも、出版社やお金の都合の事ばかり考えていたら、本当に世の中に必要なメッセージや、美しいものができる可能性は低くなる。だからこそ、美咲さんも私も一人出版社という、より、個人的な感性の表現に特化できる形を選んだのだと思う。
私は、鈴木美咲さんの過去に手掛けてきた本一冊一冊に大きな影響を受けている。そして、彼女の進めてくれる本は、いつも、いつも素晴らしい。一人の友人として、彼女の努力を惜しまない探求心も、活動動機のベースがいつも純粋な愛。で、社会的ゲームを思考でも、感情でもしないことなど。人として、とても美しいと思い、人として真摯に信愛を寄せている。だから、美咲さんの次の企画も全力で応援したい。
私は、子供のころから妥協とか、うまくいくためにそれなりに。みたいな温度感の中にいるのが苦手で、中学生にして人間の性質に絶望し(その頃は車輪の下とか、太宰治とか読んでいた。)でも、本を読み、文章に表現しつづけていた。
昨日も、ヒマラヤで景色を見ながら4.5時間書いて、でも、全然納得できなくて今日も続きを書くよ。その合間に、お抹茶をたてて窓からの景色をお茶菓子に、ほんのひと時、自然の音にす~っと溶けるみたいに自分がふっとなくなってさ穏やかな時間だよ。そしてまた書き始めるんだ。今取り組んでいる内容は、糸紡ぎと織りの概要や歴史と利点などだから、頭をいっぱい使うんだけど、それもね、この世界の美しさをこの世に生きる喜びを表現するための一つのアプローチ。だと思うから苦手な分野でも、まっすぐにむきあってるよ。
ねえ。中学生の時に思っていたよりも、全然、全然、この世は美しかったよ。努力は必要だけどね、自分でトレーニングを積めば、高い山にだって登れるし、遠くまで泳ぐこともできる。虫が怖かったけど、今ではサソリを捕まえて瓶に入れて観察、興奮し、セルフィ―まで一緒に取るよ。
この地球は、とても美しくて、とても広くて、たくさんの生き物がいて、価値観も生き方もまちまちで、関わる生き物も場所も自分で選ぶことができるんだよ。
全てが思い通りにはいかないけど、思い通りにいかないときこそ、その裏に大きなメッセージがあると思うから、理由をつけて、そのメッセージをやり過ごさないで。しっかり心を使って、目の前の現実を受け止めてみて。
子供ころに思っていた、社会の矛盾を矛盾として受け止め続ける心を持ち続けて、年を重ねていきたいと思っているよ。子供のころの想いを忘れずに、大人として社会で生きていくこと。中学生の時の自分が思った理想の大人になれたらいいな。思春期や、20代の多感な時期を過ごしている人にも、かっこいいな。美しいなと思ってもらえる。そんな作品を生み出し続けたいよ。
8月31日に向けて、もう一度、思春期の多感な頃を思い出し、その葛藤にひと時身を預けてみたよ。
人って美しい種族の生き物で、人生は芸術だと思うんだ。
みんなはどう思う???
ヒマラヤの夏の終わりは、虫の音、特に倍音が響き渡っているよ。子ヤギと子羊と子犬とおばあちゃんと、草刈り頑張る。斜面の草刈りは肉体的にしんどいけど、心の奥底から満たされるよ。今日は子ヤギが見当たらなくて、おじいさんと探したり。気だるくて憂鬱だった、16歳のめちゃくちゃだった夏なんかを思うと愛おしささえこみ上げてくるね。
たくさんの友人が今日までに、先に光に還っていった。今、生きてるってこと、当たり前じゃないよね。
子供たちに生きることの雄大さ、喜びと、楽しさ、美しさ、ひたむきさ。この星の生きるってことは、壮大な大冒険に招待されたようなもの。って、ワクワクを分かち合って生きていきたいと。最近、強く思う。
みんなはどう?みんなにも、Strawberry Fields Forever みたいな♡ 甘酸っぱい多感だった時の大切な思い出あるでしょう。
8月31日。今年はさ一人でも多くの若者が、感動したり、納得したり、喜んだりさ。 感情のベクトルを、美しいものにまっすぐに向けていられる選択ができることを願っています。
今日も繰り返される人生一の壮絶な決断と実行。そこにある魂が光のもとへまっすぐに迎えるよう。心の底から祈っています。
全ての存在が健やかで幸せでありますように地球と宇宙の祝福のひとしずくと共にありますように
愛と感謝と祈りを込めて
今日も読んで下さってありがとうございます。
とっても嬉しいです 愛と感謝を込めて
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いろんな思いをこめて、クラファンよろしくお願いいたします。
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鈴木美咲さんの出版社と書店をお勧めします♡
一人出版社 風鯨社 https://fugeisha.com/
小田原市 書店 南十字 https://minamijujibooks.com/
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