日本へ帰った際に、皆様に、ドネーションをいただきました。
ありがとうございます。
何に使う事がいいことなのかと、いろいろ考えました。
二つの事に使わせていただきましたので、ご報告が遅くなりましたが、こちらにてご紹介させていただきます。
①ショールが織れる、織り機を購入させていただきました。
ーーー村の中での格差の問題と、手工芸を含む伝統的な生活ーーー
機織りの織り機には、いくつも種類があります。
この土地で、古くから使われている織り機は、原始機と呼ばれる種類のもので、腰幅のサイズまでしか織ることができません。
なので、二枚の布を、全く同じ模様になるように織り、その二枚を縫い合わせて、一枚の大きなショールサイズの布にして使っています。
織りや紡ぎ、または、先住民の文化に詳しい方でしたら、原始機と現代織りの違いも含めて理解し、原始機からしか、生まれてこない、織り目の感じや、二枚を縫い合わせる方法も、味があるとか。温もりがあると、感じていただけるのでしょう。
ですが、実際に日本へ帰り、特に、都心部などで販売をすると、人気があるのは、現代織りの織り物だったりします。
(そこについては、私の、説明力不足もあると思うので、そちらは精進していこうと思います。)
私のいる村では、二人の女性だけが、幅広のショールが織れる、特別な道具を持っていました。
そうすると、ショールを織る仕事は、その二人にのみお願いすることになりますが、さすが、お値段の張る道具を持っている方達で、家族の収入がそのお宅には、村の平均以上にありました。(そのお宅では、半日ほど離れた場所に、土地を先祖から受け継ぎ、観光客向けの宿を持っていて、そこから収入を得ているようです。また、観光業の方が収入になるので、あまり、織りの仕事はしたくないようです。
逆に、村で、質素に、自給自足に近い暮らしをし、食料も、衣服も、家も自分達で建てようとしている人達は、現金を稼ぐことよりも、日々の暮らしに忙しく、shawlを織る道具は高額で、購入している人はいませんでした。
でも彼らは、ご自身で着ている民族衣装は、もちろん自分たちで作り、糸紡ぎや、織りが、未だに暮らしの中に息づいています。
古い道具を使っているので、どうしても、織りの一部が、よれてしまったりするので、日本で販売するとなると、私も注意したり、結局、いい道具を持っている人に、頼まなければなりません。
その様な現実を理解していくうちに、私が、一つ、ショールも織れる道具を購入し、作りたい人が使ってくれたらな。と思って購入をしました。
購入したと思ったら、ネパールからインドに帰れなくなり、今は、村の人が道具は預かっている状態ですが、これから、その道具も有効活用できるよう、していこうと思っています。
やはり、古代の織り方を習得、継承していきたいのですが、糸が紡げるまでの方法、糸紡ぎの方法も、古代から受け継がれてきた方法で行っています。とにかく、この歴史の変わり目に、織り物を含めた、彼らのような生き方が、暮らしが、存続していくことを祈っております。
7世代先の子ど達へは、汚染された環境などを受け継ぐのではなく。
美しい地球。そして、地球と調和した暮らし、文化、技術を、贈れるよう、精進してまいりたいと思います。
②ミシンを村の女の子に購入しました。
ーーーカースト制度と、女性の人権問題についてーーー
この谷には、3つのカーストがあります。
私は、その3つのカースト全ての方に、お仕事をお願いしているのですが、高いカーストの方は、低いカーストの村へ、私が行くことをとても嫌います。
理由は、低いカーストの人たちに村では、盗み、だまし、争いが絶えないという事です。確かに、低いカーストの方と話していると、いつも問題が絶えず、争いあっていたりします。
ただ、真面目に糸を紡いだり、牛の世話をしたり、質素に、質素に暮らしている人もいらっしゃいます。7年もここにいると、質素に丁寧に美しく暮らしている人ほど、だまされたり、盗みに合ったり、それでも、一生懸命生きている人もいる人にも出会います。
その女の子に出会ったのは、もう、5、6年ほど前の事でしょうか?
お父さんが、なかなかの山好きで、山の上の村から、さらに昇ったところにある、人里離れた場所に小さな家を持っていました。
私が、120kmの登山の旅に出た時も、一緒に来てくれ、家族ぐるみの親交がありました。
お母さんは、糸を紡ぐのがとてもうまいです。
初めてあった時、彼女はまだ中学生で、でも、毎日、畑を耕すのを手伝ったり、お母さんを手伝って水汲みしたり、とにかく、笑顔のかわいい、良く働く女の子だなと思っていました。彼女は、本当に泥だらけになりながら、良く働いて、一緒に畑を耕しているときに、大きくなったら、私の所で仕事ができないかと。。。ご両親のいないところで聞いてきたりしました。
この子に限らず、若い女の子たちが、時々私の所へやってきて、カーストの事や、思春期ならではの、それは的を得た社会への疑問を聞いてくることが、時々、あったのです。
彼女の場合は、一生懸命、高校を卒業しても、現金を稼げるような仕事に就けるのは、ほんの一握りの、良い家の人達だけで、自分は、家事をして、結婚して、旦那さんに養ってもらうという、その階級の一般的な未来を歩むのかな? というような事を聞いてきました。
そう、それは、あまりに一般的な女性の生き方です。現金を稼ぐことができないので、家事全般、薪を運んだり、水を汲んだりという、肉体労働も女性が行い、さらには、妻や女の子たちに対する、家庭内暴力の話は、きりがないほど私の耳にも入ります。
貧しい家庭では女の子たちが、まだ10代でもお嫁に出され、嫁いだ先では、食べさせてもらっているのだからと、家事を引き受け、良く働き、旦那さんがお酒を飲んで暴れたりしても、女だから怒ってはいけないと言われているのが、外国人の私の目にも入ってくるほどです。
彼女のお家は、家族仲良しで、山奥に家族で質素に、笑い絶えず暮らしています。聡明で明るい、彼女ですが、進学、就職することは、本当に難しいと、それは本人の努力で決まることではないと、やはり、そういう世の中のようです。
かわいい笑顔で笑う女の子と、そんな話を、畑でしたことが、とても印象的でした。
そして、わたしは、彼らとは違うカーストの村に住んでいます。言葉になんかできないくらいの葛藤と、涙と、月日を超えました。 低いカーストの方には、私は、どうして、低いカーストの村に来ないんだ?などと、嫌味を言われた時期もありました。この子のお父さんは、一緒に登山に出かけた時、10日以上の山登りの最後の日、二人だけになった時に、ぼっそっと言いました。
私は、高いカーストの所に行った方がいい。そして、織り物がんばれ。でも、自分はいつも、私の友達だから、ちゃんとわかってる。と。。。
そんなお父さんの娘の、ディンプルは、本当によく働き、編み物や、繕い物もし、手先が器用な事も知っていました。
なので、彼女が高校を卒業する時に、ミシンを購入することをご両親に進め、資金の援助をしました。
久しぶりにインドに戻り、彼女の家に行ったら、彼女は、洋服が縫えるようになって、村の女性たちの洋服を仕立てて、現金を稼いでいるようでした。
今回、彼女の家を訪ねた時には、彼女は牛の世話に出ていて会えませんでしたが、ご両親が、嬉しそうに話していました。
これから先、商品を購入していただいた時につけている、コットンバッグなども、彼女に頼んでいけたらいいな。なんて、話しています。
日本の感覚ですと、そういう道具を購入したら、すぐに結果が付いてくる、現れるのが一般的、もしくは、好ましいと思うですが、インドでは、そこもゆっくりだったりします。ましてや、人の成長に伴う事でもありますから、本当に長い目で見て、織り機も、ミシンも、誰かの役に立っていったらいいな。と思うのです。
皆さんからいただいた、ご寄付は、こうして、使わせていただいております。
私自身も、きっとこれでいいと思いながら、現実が、ご報告できるほど、伴っていないような気がしたリ、いろいろな葛藤もありご報告できずにいました。
いろいろな文化違いを、私なりに受け入れられなかったり、葛藤したり、そんな最中には、言葉にできなくて。
応援をしてくださったり、暖かく見守ってくださって、本当に、心から感謝しております。
この活動が、続けていられるのも、皆様の応援、ご理解のおかげと思っております。
本当に、たくさんの方にお世話になっております。
至らぬ点ばかりですが、これからも、暖かく見守っていただけましたら、大変ありがたく思います。
いつも、みなさま、ありがとうございます。
みなさまが、地球が、そして、すべての生き物が、健やかで幸せでありますように。
そして、未来の子供たちに、美しい地球と、美しい文化、感性を、引き継いでいくことができますように。
柴田睦美