今年も原毛掃除を頑張ってます。その中でどうしても書かなきゃいけない。とロックな思想が頭から離れず数日。勇気を持って投稿します。
永遠に続くかのように少しづつしか進まない原毛掃除。
地味な作業の割に肩腰が痛くなる。
原毛に着いているノミに噛まれすぎて、防護のためにカッパを着ているけど、全身で100箇所は余裕で刺されているため、痒くて眠れてないから疲労も倍増。
ヒマラヤに暮らして、こんな大変な日々を選んでしているなんて、何してるうんだろう?
畏怖の思いすら湧いてくる大自然を目の前に思えてくる日々だった。
掃除適当でいいから、糸紡いだり、織ったり、編んだりした方が作品いっぱいできるし、アーティストっぽいやん。って、山の中でひとりで思っていた。
なぜそんなに頑張るのかと言うと。
遊牧のウールを使ということは、沢山汚れがついている、それを承知で遊牧のウールを選んでる。
綺麗に紡ぎ、織り、自分の望む作品の肌触り見た目を実現化させるには、原料の掃除と洗いが1番密接に関わって来ると、この10年を通して知ったからです。
毎朝、瞑想して、朝日見て、軽くYogaして羊毛に向かう。
単純で誰にも見られない山の中で、地味な作業にひとりで向かっていると焦燥感が必ずやってくる。
思考が誰かを羨んだり、逆に自分の方が頑張ってるのに。とかネガティブな方に行きかけたら、手を動かしながらも呼吸法を繰り返すとネガティブ思考に呑まれない。そんなメンタルトレーニングをしています。
そんな日々の中で
牛飼いをしミルクを届けてくれたり、野菜を届けてくれる、村の人達は毎日誰に知られることも無く、淡々と家畜や畑作業、水汲み薪拾いを繰り返してる。
美味しい野菜やお米は、丁寧に手を入れられた土地が育んでくれる。
牛乳も草刈りをしてくれて、毎日休まず遊牧に出かける人がいて牛乳が飲めること。
一緒に暮らすおばあさん「通称ママ」の飼っている牛のミルクは美味しい。とても濃厚。
草刈りして餌を上げて雨でも遊牧に出かけ、丁寧にお世話してるから、牛乳は生クリームのよう。
見えないところでどこかの誰かが、身体を使って土と向き合って、命を注いで作ってくれた食べ物を頂いて日々生きていること。
彼らの見た目はいつも土を被っていて、毎日お風呂にも入ってないし、手もしわしわキズだらけだけど、私は彼らをとても美しいと感じます。
派手な教えやセレモニーはしないけど、この太古から続く地球の循環をそのままの形で、現在のこの世界まで運んでくれて、世界の環境の均衡を保っていてくれている、ヒマラヤの守り人だと思っています。
村の人達の生活を見つめながら、原毛と向き合っていると
「私は、ちゃんとこの世界に感謝しているのか?疑問がどこからか降ってきました。」
ステキな家や家具を作るには、よく育った木が重要だったり。
山を循環させるために、危険な作業をしてくれている人たちがいて山が水が機能していること。
たくさんの当たり前のことに、ちゃんと意識を向け感謝してきただろうか?と。。。
都市部にいると地球の生産速度より、人間の消費速度が上回っている。ということに愕然とする。
沢山物を持っても、便利な社会に生きても、格差や貧困、口に出る言葉はポジティブでないことも多い現代社会。
AIで作業効率アップ!とか、投資でお金が儲かります。とか、ネット広告を見るたび思う。
これでいいのか?
本当にこれがみんなが心からしたいことなのか?
と思うけど、社会で生きていくためにはそんな事考えていて、熱量高めでいる変わった人だと言われる。ということは私も知っている。
現代社会の中で生きてる人も、どんなお金持ちも、水、木、土、空気が無ければ、生きていけないのは単純なことなのに。
食べるって人間にとって幸せを感じる行動のひとつで、野菜もお米も木も育たない環境だったら、心身の健康は無いのに。
ヒマラヤの物質的には質素で、泥だらけでシワだらけのお年寄りが、先祖から種を受け継ぎ自家栽培し食べる、何世代も営まれて来た生活を続け幸福感を自分の中で自家発電してニコニコしている。
温暖化とか色んな説があるので、その理論には置いておいて。
地球本来が持っている生産循環速度と、人間の消費速度のバランスが適切でない。という事はヒマラヤにいて思います。
環境問題の解決策なんて分からないし、あんまり考えすぎるとネガティブな思考に捕まってしまうと思うけれど。それを忘れて自分たちだけ欲と業を満たしても、本当の幸せ。恒久的幸せは溢れてこない。
それよりも、お米や野菜それを育ててくれる、どこかの土にまみれた誰かのおかげで生きていられてること。
今日も土や風や水、太陽。人間には構築出来ない地球や宇宙のシステムおかげで、全ての命が生かしてもらってる。というシンプルなことを、きちんと理解して感謝して生きていたら、外の世界を変えなくても、外の世界に求めづとも、今、目の前にある現状から感じる幸福感は多くなると思う。
食べ物が育つという奇跡
土があるという奇跡
水が循環しているという奇跡
火が日があるという奇跡
全ての当たり前を奇跡と思い感謝すると、自然と幸せな気持ちが湧いてくるよね
世界は全てがポジティブに捉えられる事ばかりではない。でも、恐れずに、呑まれずに、今、目の前にある奇跡の星に感謝して生きる。
当たり前と思いがちな、奇跡の星に気がつきながら、豊かさに気がつき感謝しながら生ている人は幸せそうだと思う。
毎日昇る朝日も毎日違い、
毎日昇る月も毎日違う。
今の月の美しさは今にしかないから
それを愛おしいと思う
ウールの作品を、山の中でひとり黙々と作ってきた10年。
正直、日本でファストファッションが流行していたりするのを見たりすると、
私のやっていることは意味が無いと
思える時も沢山あります。
意味なんかなくてもいいと。
ヒマラヤのパパやママのように、
そう思えるところまで淡々とやれる
自分に育ったらいいなと思います
丁寧に実直に目立たないことを
ちゃんとやれる
日々、瞬間瞬間を大切にできる人
になれたらいいな。
私たち人間は完璧じゃないから、私のこの文章に色んなこと思う人もいるかもしれないけど。
読んでくれた貴方に感謝しかないです。