この写真の牛の名前はラーリーと言います。
6年くらい前、半年位ホー厶ステイした家に飼われています。
ラリーは、私の滞在中に、乳腺炎を発症し、随分苦しみました。
乳腺炎は日本の畜産界では死の病で、病気自体で亡くなるか屠殺される。家畜専門の獣医の方が言っていました。
何故、日本で乳腺炎の乳牛が屠殺されるかというのは、一番最後に参考資料として書いておきますね。

飼い主のキムティは、根気よく毎日世話をしました。
私も、これは絶対に実りが多いはずだ。と思い、そこに滞在した6ヶ月、毎日、ラリー含む牛達と、同じ家で飼育していた羊の世話を毎日しました。
毎日、毎日、休むことなく小屋の掃除をしました。こちらでは、牛のフンは汚いものではないので、牛小屋の石の敷いてある地面は素手で掃除します。
私も素手で糞尿を掃除していました。顔、髪、服にはねて手を洗っても臭いは取れなくて、染み付いていたけど、毎日、牛達が待っていてくれるのは、人生の幸せでした。
餌の草刈り干し草作りのために、おばあちゃんのキムティとナタを持って、背負子を担ぎ山へ出かけていました。

ラーリーは気性が荒いので、気をつけるように言われていました。
靴を磨くブラシを買ってきて、毎日身体をブラシがけしてあげて、餌を上げ、薬もあげて、溺愛していると、ブラシ掛けを催促するような仕草をで寄ってくるようになりました。
見えないところからラーリー!と呼んでも、モーーーっと声を上げて、反応するようになりました。

牛は人を個人認識できるし、声も解っている。
ラリーは乳房炎を完治し、更に、新たに子牛を産み、今も牛乳を家族分ですが、毎日出してくれます。
6年前は耳に識別証なんてついていなくて、ここにもそういう文化がやってきたことは否めません。
私も、ラーリーのいる場所から歩いて1時間半登ったところに今は住んでいるので、毎日は今は会えなくなりました。
今も変わらず、私の声に反応し、顔を見ればブラシとナデナデを催促する姿も変わりません。
私が思っていたよりも、ずっと愛情深く、愛らしく、記憶力も長いようです。

投稿する写真も、ラーリーさんデレデレの甘えん坊です。私も、もちろんラーリーにメロメロです。
私の大好きなラーリーの愛らしい表情をどうぞ。こんな表情をカメラの前で見せてくれるのは、ラーリーだけ♡

こうした経験が積み重なって、村の動物が大好きを通り越し、動物がいないと心に穴が空いたみたいに、寂しくなるようになってしまいました。村の動物も私を好きになってくれていると思います。

牛も、羊も、馬も、犬もみんな大好きです。

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酪農経営の中で乳腺炎の乳牛が屠殺される理由について。

一度乳房炎を罹った乳牛は治るまで時間の看病が必要、たとえ治ったにしても、乳量の減少や、後々再度、乳房炎にかかりやすくなります。毎日高価な飼料を与え、一生懸命に乳牛を育て牛乳を搾って、仕事にしている酪農家さんにとって、施設維持費、エサ代、等を払い続け難病を克服し完治できても、そこまでに要した費用と、その後牛乳を出荷し回収できる金額がマイナスになるようで、乳腺炎を患った殆どの乳牛は治療を受けることはなく、屠殺され食肉と加工され、スーパーなどに出荷される。と、その獣医さんは言っていました。
鶏や豚。他の家畜も日本では同じような状態にあるようです。

lokah samastah sukhino bhavantu

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