羊飼いで家主のおじいちゃん。
彼から学んでいることは、一生の宝です。

皆様こんにちわ。
グジャラートという、手紡ぎ手織りの聖地の旅を終え山に戻ってきました。
インドに来て、色んな宗教の講和を聞く事が増えました。その中でよく言うのが、自我を手放し、大いなる存在に捧げなさい。という一説。あんまりよく分からなかったのですが、ヒマラヤの先住民族と暮らすうち、実体験としての理解が深まってきました。それは、自己犠牲をして頑張るということでは全くなく、物質的な外的要因にも頼らず、快楽的な高揚とも全く違う、質素で感謝に溢れ、その方の生まれや収入にも全く関係ない。と、目の前の現実から感じています。

インドにも布を通した平和活動にNGOの繋がりができたり、神様に捧げて生きている友人が沢山できたり、今、頑張ってる感なく、最高に幸せに平和活動できています(*˘︶˘*).。.:*♡
インドという国は、やはり深く深く慈悲と真理に満ちています。

そして、この山に還ってきて一緒に活動している人達の意識レベルが違うのを感じました。
デリーから夜行バスとローカルバスをのりつぎ最寄りのバス停のある村へ。
この村はヒンズー教の聖地でParvatiの化身と、土着の神様がいます。
ヒマラヤの聖地なので、お寺に巡礼者のための宿、温泉、食堂が完備されています。
帰ってきたらハイシーズンで、巡礼旅行の方が溢れていました。
その村でも紡いだり、編み物をしてくれているおばあちゃんたちがいるのですが、彼らは巡礼に来るような由緒正しきお寺の神官の家系です。
でも、全く偉そうじゃない。
むしろとても質素でお金儲けに執着がないです。
彼らにとって1番大事なのは、沢山稼ぐことじゃなくて、最低限の必要なお金があって、心が豊かに生きていくこと。

たくさんお金は必要ない。穏やかに質素に暮らせる分だけあればいい。といい、インナーセーターを担当してくださるManormaさん。

私は、94歳のおじいさんのお宅の子ども部屋に、買い物に行く時など泊めていただいています。
そのおじいさんは、一年中、5時から6時の間にお清めをしお祈りをし、8時前から夕方17時くらいまで、お寺に奉仕活動に行きます。
車というものを初めて見たのは、40代か50代の時、奥さんも息子も孫も、自分より先に逝くのを見て、それでもおじいさんは、いつも巡礼者たちを受け入れるため、お寺でお仕事をし続けています。
お孫さんのお葬式の時は、おじいさんと一緒に出棺を見守って、彼のたっている姿勢、呼吸、佇まい、本当にすごい人だと感じました。
おじいさんは、私のウールのお仕事が好きみたいで、たまにしか町には降りないけれど、会えた時には嬉しそうに瞳をキラキラさせてお話してくれます。

80代のおばあさんも、毎日お寺にお仕事に行きます。私の帰りを待っていてくれて、今お願いしているセーターを嬉しそうに見せてくれました。
御守りするお寺とともに、世の中の変化を見てきたおばあちゃん。
彼女もまた多くは語らないけれど、昔話や色んなことを教えてくれる。

お寺の守り手 セーター編んでくださる
Devki さん

私の師匠たちは、神官、羊飼いがほとんどです。
羊飼いはヒマラヤの4000m以上にある、聖地とこの地上との最後の地点に棲う、聖なる山の護り人。
動物と人と神様の、間に存在できるような人達で、ほとんど人間社会には関わりを持ちません。
みんな、一生を神様と信仰に捧げて生きています。
そんなお年寄りたちと一緒に、民族工芸を作り続けられる幸せを感じています。

全ての命の魂や心の特性は、光そのものである。肉体を離れ、魂だけの存在になった時、私達は本当の自由を手に入れ光に向かって還って逝く。
ただ、その過程で俗世での行いが、闇や恐れとして対峙しなくてはならないから、迷わず逝けるように儀式をしてあげたりする。それが冥福をお祈りするという事なのだと。チベット仏教の本にも、この山の民も同じことを言っている。
今関わっているお年寄りの顔を見ていたら、誇りと愛と自信を持って、みんなに言えます。

彼らは光に近い。
迷わず、光の元へ還っていけると。

みんないつかは天に還るのですから、それまでにできるだけ、自分の魂も、全ての魂が光から生じていることを信じられる、感じられる瞬間を過ごそうと。

そのような生きる道に、糸紡ぎや畑を耕すこと、平和のために奉仕するような生き方がある事を、賢い先人たちが身をもって見せてくれています。
一時的、社会的快楽に溺れず、忍耐して光を信じて、自己の闇と退治し鍛錬する強さ。それを続ける事で、清く美しい赤子のような瞳のお年寄りになるのだと。
その道の先には、光。宇宙からの無限の愛と同化するのを感じるはずだから。
生きながら、私達は光からできている。って、体感しながら生きること。
そういう生き方と、そう感じ生きる為の日常の術。を、言葉じゃなくて、毎日の行いで見せてくれて、一緒にモノ創りしてくださる。

村に帰るまでの間、たくさんの人とお話したり、おうちに招かれるのですが、みんな私が、何も無いこの村に帰って来るのが不思議みたいで、グジャラートでお仕事して、帰ってこなかったらどうしようと思ってくれていたみたい。

村へ歩いていたら、道端で糸紡ぎをしてくれているKimtyさんを発見。彼女の愛の深さにどれほど救われているでしょう。

ここには商店すらない、雪は深いし、車もバイクも通らない。
日本は近代的でモダンで美しい国でしょう。ここで、きつい肉体労働を一緒にするなんて。もう、来なくなっちゃうんじゃないか?って思っているのが、たくさんの方から伝わってきました。

こちらで関わっている村の方たちは、ホワイトな生き方、ホワイトなお金の作り方、ホワイトな生き方。と、口を揃えて言います。最近、毎日、何度も聞く言葉。

もっと清く。もっと美しく。
彼らのように世の中の流れや、意見、集合意識は認識しつつ、自分を戒め、美しい地球を楽しむことで、堂々と誇り高く生きていける。って、薪割りしながら、糸紡ぎながら、牛追いかけながら、さら〜っと軽く言います。

私も、は〜い!真面目に清く正しく生きま〜す。って、軽く言って、にこにこしてます。

お洋服を販売することって、みんなの快楽や消費を刺激すること。と、紙一重なのです。
私と一緒にお仕事してくれてる人は、みんな、質素でシンプル、足ることを知っている人達です。
ミシンひとつにしても足踏み。
お湯も薪で炊くか、天然温泉。

私も自身のエゴはまだまだあるけれど、作る時には100%で、存在証明を超え、自然の循環の1部として、その清い意識の一部としてありたいと向き合っています。

もっともっと欲しい。ってなる意識を刺激するのではなくて、シンプルで質素で、もうこれだけで私はしあわせだ。って、身体も心も深く穏やかに満たされるような。そういう日常着を作りたい。と思っています。

インド洋沿いの穏やかな村から2700mの地点まで、もの作りをしながら旅をしてきました。
途中、都市を幾つも越えて来ました。
標高が上がれば上がるほど、持てるものは少なくなって、生活は質素になっていく。

そして、ヒマラヤの山のお家は、本当にシンプルで質素な暮らし。

ヒマラヤの山岳遊牧民族ってどんな方たちなの。って言われたら、彼らは言葉よりテレパシーみたいな、人間が持っていた機能を今でも使えるみたいで、言葉じゃない言葉。が使われている。動物もよく言葉を理解してくれる。そんな場所です。

ここに戻って思うのは、もう、贅沢いらない、たくさん欲しいとも思わない。
欲しいのは、動物や鳥たちが幸せそうで、水が、空気が、土が綺麗で、それを愛する人たちとの暮らし。

地球と宇宙の循環の
ひとしずくの羽衣

執着やしがらみを手放し
光の一部と自分を信じて
今生を光の一部として
存在することができますように

ただいま。ヒマラヤ。
大自然
全ての命が大好き。

愛おしすぎる。
は〜い。今日も幸せに、清く、美しく生きまーす♡

いつもありがとうございます。

いつも祈っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Visaの再申請のため、1ヶ月だけ日本に緊急帰国する事に致しました。

2023/7/7より
☆お話会。
☆グジャラートで丁寧に活動されているNGO組織の手紡ぎ手織りのオーガニックコットンのお洋服展示会。
☆観音舞 家元 柳本美香氏 の立ち上げた洋服のブランド Isuzu と共作しているお洋服のお披露目会。
等。。。企画しております。

イベントページ等立ち上げていきますので、是非、お時間ご一緒いたしましょう。
既に決まっているイベントはコメント欄に。

どうぞよろしくお願いいたします。

おすすめの記事