昨日の記事では、先進的なインターネットを使う事と、自然と調和する暮らしを目指すことの葛藤のようなものを、書いてみました。

その記事が書き終わるのと、ほぼ同時に、インドの山の村から電話が来ました。

村の一番のお年寄りのおばあさんが、息を引き取ったという事でした。そのおばあさんの一族、娘も、孫も、ひ孫とも、家族ぐるみのお付き合いをしていただいていました。

私にとって、師匠であり、おばあちゃんであり、その存在を見るだけで、心に平安を感じることができた。

今までも、古い時代を知る、知恵と技のある存在がいなくなってしまう事を危惧しておりましたが、実際に、共に作業をして、糸を紡ぐお仕事を引き受けてくれていた、長老が息を引き取ったのは、初めての事でした。

古い投稿を見直すと、彼女と義理の娘、孫たちと、一緒に作業した日の事が書いてありました。

昨日は、村人、他の村の親せき一同が、ロックダウンの最中でも、山奥の村まで帰省していて、ビデオコールで、みんなと故人を偲びました。村の若者、中年の者、年寄、皆にとって特別な存在。

彼女はみんなの長老だった。

現代の世の中では、コンピューター、スマートフォンが当たり前に流通し、私も、今回、インターネットと向き合ううち、年下の方々に教えてもらい、助けてもらい、何とかかんとかできました。

古い時代は、火をおこしたり、作物を育てたり、年を重ねたものから学ぶことで生きることができていたけれど。今は、インターネットでそんなことまで学べる時代になってしまった。若者たちは、子どもの頃から、機械を使っているので、それはセンスが良く、葛藤している。と、昨日、年上の友達が言っていた。

あの村では、長老は、偉大な存在だ。

彼女は、山岳信仰を特に厳密に守り続けている、インドでも有名な小さな村の純潔の子孫で、私の住んでいた村に嫁がれていた。

その村は、外部の者はけがれているという事で、訪れた外部の者は、人はもちろん、建物や、寺院、全てに触ってはいけないという村で、買い物の時には、お金を地面に置くと、商品を地面に置いてくれる。というほど厳密だと言う。。。

想えば、最初の頃は、アウトオブカーストだからと言われて、本当に居心地が悪い時もよくあったな。

私が織物をすると言っても、どうせ、薪わりすらできずに逃げ出すんだろう。なんて、言われていた頃。。。

そんな頃から、私に触れてハグをしていたし、それを見ていた子供たちの態度もどんどん変わっていった。そんな思い出や、たくさんの思い出が思い出された。

どんなに差別的な事を言っている人でも、彼女には頭が上がらなくて、ばあさんが言うならしょうがないか。。。というような感じで、村人が心を開いてくれるきっかけを作ってくれたりした。

彼女は、本当に厳密なカーストのしきたりのある村の出身だから、時々の彼女の氏神様が生まれた村からやってくるときには、私は、その人達の目に触れないように、家の中に隠されるほどだったのに。。。

彼女は90歳を過ぎ、私に出会い、掟を破って、村の人と同じように接してくれた。

村から離れた、洞窟に板で扉を作り、そこで、野菜を育て、火をおこし、仙人のように一人で過ごせる秘密基地を持っていてたり、とにかく、いろんな場所や、古い時代の生き方を見せてくれた。

古い生活を守り、生粋のインド山岳民族の純血の彼女が、外国人の私に触れ、一緒に座って糸を紡いで、いつも冗談ばっかり言って、笑いあって。。。

彼女の優しい瞳は、いつも愛だった。

たくさんの、たくさんの思い出を思い出しながら、昨日は、ネパール側に沈む夕日を眺めていた。

村のみんなも、彼女がいなくなってしまって、時代が変わるのか。。。なんて、不安になったりして。。。これからどうしよう?って、昨日は、たくさんの人と電話で話して。

結局、羊飼いは、羊を追いかけるよ。といい。

10代の若者たちが、羊飼いを手伝っているよ。といい。

私には、早く帰ってきて、また遊牧に出かけ、糸を紡いで、写真を撮ったり、書いてほしいという。

先進と、古い時代の何かの終わりの狭間で、私たちの世代の村人は、いろんな意見があるのだけど。

彼女は、そんな大きな時代の変化を見つめ、外国人を受け入れ、共に糸を紡ぎ、現金も稼ぎ、それでもなお、洞窟に住んで畑を耕していた。

彼女が見せてくれた、一番大きなものは、愛。。。 だと思う。

現代社会でも生きている私は、いろいろ、考えてしまう事もあるのだけど。

私があそこにいる時点で、新しい何かが始まってしまったんだから。。。

今回は、こんな形でやってみよう。

何度でも、いろいろな方法を試していこう。

彼女たちと、共に笑い、共に泣き。重ねてきた時間が、今はこういう形になっている。

その時間も、カーストの事で大喧嘩したり、追い出されたり、本当にいろいろあったけど。

今はあんまり気にならなくなった。

もっともっと、時間をかけて、その時々の私たちのベストを重ねて続けていけたらいいなと思う。

愛ってすごいなーー。

サジダディへ。。。

昨日、山の村を降りた川のほとりで煙になったんだね。

その体を構成していた小さな物質たちは、煙になって、雲になって、山の上のあなたが暮らした村に、貴方が歩き耕した、大地を眺めていることでしょう。

その雲が、雨になって、その台地に還って、草や野菜をはぐくんでいるかもしれないね。

次に帰ったら、貴方と、山道でもう会えないし、洞窟も空っぽになっているかもしれないけど。

私の中に、貴方はいます。

村のみんなの中にもいる事を、私達は知っています。

生きるとか、死ぬって事を、森羅万象の一部として理解している貴方たちは、時々、信じられないことを言うけれど、そうやって、年を取るって事や、この世を去るっていう事を教えてくれているのだと思いました。

私は、あの山の中に、貴方のかけらを見つけるでしょう。

いつも、そこにいてくれてありがとう。

これからも、愛しています。

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