山の人は、干し草を刈って積んだ山の上に花を置き、ほんの一瞬、祈りを捧げたり。
羊の毛を紡ぎ終わった時に、その駒に一瞬祈りを捧げたり。
ウールの仕事の報酬を受け取る時に、祈ってからしまう。
自然から頂いたものに対しての、ほんの一瞬、一瞬、の祈り。
今、自分の命を支えてくれている他者を感じた一瞬の祈り。
そして、今自分がこの世に存在している奇跡への、感謝の祈り。
ヒマラヤの山では、自分という命が他者の存在のおかげで保たれているという事が、鮮やかすぎるほど目に見えます。
植物、虫、動物の命と、私たち人間の命が繋がっていることを感じます。
そして、自分もやがて煙となり、この山に降る雨となり、草をはぐくみ、羊や牛、今、命を支えてくれている動植物の糧となる事。
骨は川へ流れ、下流の土壌を豊かにしたリ、命溢れる海の養分になるかもしれない。
そんなことを、最近、立て続けになくなった大切な方たちが、目の前で見せてくださった気がしています。
ヒマラヤでは、人も、動物も、虫も、植物も、他の命によって生かされ、他の命に繋がっていく。
全ての命は平等に地球と宇宙に愛され、支えあっていると感じることができます。
高熱を出し、たくさんの方のお世話になりながら、養生していた日々。
普段は飲まないお医者さんに出してもらった合成薬品の、お薬を一日に二度飲んでは、その効果で寝落ちして、また起きて繰り返し。
それでも、この土地では生姜湯+数種類のスパイスを混ぜて煮込んだお茶。ギー。
この山の人達の家庭ごとに伝わる、アーユルベーダベースのオリジナルレシピがあり、薬と併用して手厚く看病していただいていました。
この辺りはヒマラヤの薬効植物が深い森の中に生えていて、村人たちは時期が来ると、各家庭に伝わっている秘密の場所に家族で向い、キャンプをしながら自生している薬効植物を集める。アーユルベーダの貿易会社をしている人や、中国の漢方の販売元などの方が、毎年、その時期になると、わざわざ買いつけに来てくれて、10日ほどの採集で、インドの公務員の教諭の2,3か月分の月給の2,3倍を稼ぐ家族もいる。例えば、野生の冬虫夏草などは非常に高値で取引されています。
地元の人が知っているヒマラヤに伝わる薬効植物と合成薬品を併用し、住環境も薪ストーブを設置してもらって、薪まで割っていただいきました。
ここに長くいるからこそ、この対応をしてもらえることは、かなり、かなり特別だという事を理解しています。
この7年間で、一番大切に扱っていただいている。
それでも、髪の毛を洗っては翌日熱をぶり返したり、そういえば、ここでの越冬は2シーズンしていなくて、身体はこの場所に未だに馴染みきっていないなーと、思っていた。
2400Mの冬のヒマラヤ。酸素濃度は薄く、とても寒いので、一度、病気やけがをすると細胞自体の復活作用は、低地に比べるとかなり遅いです。
それを実感したのは、ここに来て一年目の冬の越冬の最中、雪の時期に風邪が長引き肺炎にまでこじらせてしまった時の事。
それまで、厳密なヴィーガンだったり、ローフードだったり、菜食主義を長年続けていた私は、病気にはこれが一番だ!と、地元の人がフレッシュな村の羊を食べてくれと。持ってきてくれてけれど拒み続け。でも、低酸素の状態での肺炎は非常につらくて、おそらく、10年以上ぶりにお肉のカレーのスープを飲みました。
すると、それまで全然回復傾向になかったのが、回復に向かって急前進をしました。
冬場は野草も野菜も貴重品で、町まで買いに行っても八百屋に並ぶ野菜は高値で種類も少ないです。
村の男性は集まって、カモシカのような野生動物の狩りに出かけ、そのお肉を村中で分け合っていただいたり。
夏の遊牧中は羊飼いも羊を絞めることは無いのですが、冬場は、定期的に絶妙なタイミングで羊のお肉をいただくようになりました。
先日、羊飼いの家に呼ばれてお茶を飲みに行ったら、昨日、羊絞めたからフレッシュだから持って行ってと、お肉がでてきました。
管のような部分や、腱。小さなトウモロコシのようになんだか粒粒?黒っぽい部分など、内臓もいろんな部分の混じったお肉を、洋服が包まれていたであろうビニール袋に入れて持たせてくれました。
私のお世話になっている家で不幸があり喪に服していましたので、すぐには食べずに、薪ストーブの上であぶったりして保存食にしていたのですが、それを、昨晩、みんなでいただきました。
細切れを4切れいただきましたが、昨日の夜は、寒さに震えて起きる事もなくぐっすり眠れて、朝起きると身体もぽかぽかしていて、思考もすっきりしていました。
今回、こちらに戻ってきてから、初めてお肉をいただきました。随分久しぶりのお肉。
体調の悪さも完全回復に向かって、王手と言う感じがしております。
余談ですが、手相が今回の熱の前と後で全然変わってびっくりしているのですが、こんな事ってあるのですね。
羊飼いが自分達で食べるために羊を絞める時に選ぶのですから、それは、時期も羊の選び方もプロフェッショナルです。
夏に高地を遊牧し栄養豊富な草のみを食べ、その草が血に肉に変わっていると感じるのです。
フレッシュなお野菜をたくさん食べた後のような、ビタミンが補充されたような感じがします。
思えば、ローフードはフロリダ、カナダにいた時にしていました。材料の入手もディハイドレーター、機能性のいいミキサーも手に入ったので。
日本にいる時は、マクロビベースの玄米菜食が一番おいしいと感じます。
そして、ここでは羊飼いの村にいますので、その羊毛から衣服を作らせていただいて、冬場など、本当に必要な時期にお肉も頂いています。
羊毛に関しても思うのですが、その飼育の方法や、製作の過程でふわふわにするために使う薬品などが、今まで、ウールやお肉を食べることを拒んでいた原因のような気がしています。
自分の今編んでいるセーターの毛と、同じ羊の群れの羊さんのお肉を、村の中で各家庭に少しずつ分ける。
そのお肉を見ながら、きっとここはこの部分で、ここはこの部分でと、ありがたさを痛感しながら一口づつ噛みしめて頂いています。
湧き上がる感謝に手を合わせて、祈りを捧げる。それは自然と起こった行動でした。
私の現実の暮らしは、一年半ぶりにこの地に戻り、6か月と言うVISAの限られた時間の中で、どこまでできるか。。。次に帰ってこれる保証はないのだから。という焦りも実際にはあります。
ウール関係の事は初めから体制を立て直し、もう一度、山の人とと向き合って。更に、クリスマスに向けて商品を送ったり、オンラインショップの用意をしたり。オーダーに取り組んだり。
毎日、夜中の1,2時頃仕事が終わって、深夜3時ころ眠り、朝8時ころから活動するという、そんな生活を続けていました。
途中で肉体的にも、精神的にも疲れ切ってしまった時もありましたが、支えてくれる方達もたくさんいました。
本当に限界が近づいた時、日本にいる友人や、ヨーロッパにいる友人に泣いて甘えさせてもらった事もありました。
今、本当に志を分かち合える人達だけが、私の周りに残っていてくれて支えてくださったと感じています。
長い時間をかけて出会った、その人達も、羊も、馬も、一丸となって向き合うことができたから、一人ではできなかったことが、形になってきている気がしております。
この質素で笑顔溢れ、生命がいたるところできらめいている。
そんな暮らしがこの上なく幸せで、豊かさに溢れているから、できないと思うような事もいつかはできていっていっているのだと思います。
ヒマラヤの山の民は、とにかくみんな生きるために良く働くのですが。
他の命と繋がっているから、命っていうものも循環しているから、個として分断された暮らしをしていた時には感じられなかった、生命エネルギーの中に包まれているような気がします。
お母さんが無条件に胎児に命を分けて、このように存在できるように奇跡を起こしてくれたように。
地球は、今、この瞬間。私たちに無条件に生命を吹き込み、存在を維持できている奇跡を起こし続けてくださっている。
とヒマラヤの暮らしで鮮明に感じさせていただいております。
羊毛と向き合っているようで、生命という奇跡を体感させていただいているのかもしれません。
今、生きているって、それは祝福で成り立っていて、自分の命は自分の物ようで自分の物ではない。どこか大きな偉大な何かに生かしていただいているように思います。
全ての命が地球が与えて続けてくれている恵みと共に、祝福と共に、その命をきらめかせて生きることができますように。
母なる地球と、父なる宇宙へ感謝と祈りを込めて。
父と母、ご先祖様、そしてすべての生命に生かしていただいていることに感謝と祈りを込めて。