白銀のヒマラヤの谷は朝も昼も夜も美しく、雪山の愛おしさを知った。

特に大規模の停電と凍てつく寒さのおかげで、夜の暗さと静寂の深さは図りしれないくらい深く幻想的でした。

雪山の夜の星の輝きは、星と星がお話しているのが聞こえるよう。

雪の夜の森は美しく荘厳で、そして静かだった。

2000m―3000mの標高に徒歩でしか行けない村が数時間おきに点在しているエリアで、日中は近隣の少数民族の棲んでいる村々を歩きめぐりました。

村ごとに景色も日当たりも、家の建てられ方の趣、軒に彫られている彫刻の趣向、人々の服装も違った。

雪のヒマラヤの山道を必死に登っては降り、山の暮らしの香りや音、山の景色、人々の笑顔に魅せられていった。

家の煙突からは煙が上がり、ロバや牛を追い歩く人達が歩いている。

朝は薪を拾いに出かけ牛の世話をしお乳を搾り、日中は日向に座り集い羊毛を紡ぎ、編み、機織りをする女性たちの姿を目にした。

くるくると回る駒の先にふわふわの羊毛の塊から、糸がするすると現れて、駒に巻き取られていく様に、無性に心を惹きつけられた。

糸を紡ぐ人の隣に座ってローカルの言葉しか話せない彼らと、何とか、コミュニケーションをとり、その糸紡ぎに使う道具は”タッカリー”と言う名前で呼ばれていることを知りました。雪に残る山道を、電線が道のわきに横たわるのを見ながら、停電の宿に帰る道のりを、”タッカリー”という名前を忘れないように宿へ向かったのを覚えているよ。

”タッカリー”は、その界隈の村のお店のどこを探しても見当たらず、その辺りでは、もう、需要がなく売られていないとの事がわかりました。

出会う人、出会う人に、情報を聞いているうちに1週間がたち、少し離れた村の若者に話すと急斜面の上の村に住む彼のお爺さんが羊飼いのようで、彼のお母さんや家族も糸を紡いでいるので、ウールも”タっカリ―”も分けてあげることができるよ。と言ってくれた。

停電が続く冬の日々。1時間ほど離れたその村まで雪の道を歩いて通い、糸を紡いで帰りは薪を拾いながら宿へ戻る日々が続いた。

荷物を運ぶロバの鈴の音が聞こえ細い道をスリリングにすれ違ったり、牛や羊に草を食ませながら歩く人がいたり、人と動物が大自然のなかで近い距離で暮らしていた。

牛と共に野を歩く初老の女性は民族衣装の胸元から糸車を取り出して、そこいらに転がる岩の上に腰かけて適当な岩のくぼみを器用に使って糸を紡いでいた。彼女の牛は草を食んでいて針葉樹が生い茂る森の向こうには渓流が流れていた。

老婆は指がボロボロになるまで紡いでいた。 

彼女の手を本当に美しいと思った。

彼らの日常を尊いと思った。

これが旅とヒツジと糸紡ぎの物語の始まり。

雲のような羊毛の綿から糸がすうーっと伸び光に輝く一筋の糸の様に伸びていく。

ダイアモンドダストに輝く青い空と白いヒマラヤの山並みの輝きに、動物たちや鳥の声が響いていた。

ヒマラヤの山の日々に恋に落ちた。

予定を変更してそのまま一冬をこの谷で過ごした。

たくさんの村の人達に出会い糸紡ぎや棒編みを教えてもらった。

ここには質素で美しい暮らしが残っていた。

すべてがシンプルで太陽の様に笑う彼らは幸せそうだった。

2014年 始まりの冬。

その時はBellaTerraというブランドを持つことになるなんて思ってもいなかった。

この時、糸紡ぎや編み物を教えてくれた人達とは今も一緒に糸を紡いで編んでいる。

一番初めに“タッカリー”を譲ってくれた2021年に青年は宙に還ってしまった。

彼と最後に会った時私が糸紡ぎを続けているのを喜んでくれていた。

彼の叔母や従妹は今も一緒に羊毛の作業をしている。

2015年冬が終わり春になる頃。自分で紡いだ糸を編んで作った帽子や靴下が出来上がっていた。

Visaの関係でインドを出るときがきた。

一冬を超えた山を降りるとき

『素朴で美しく幸せにあふれてるこの場所が

いついつまで地球の恵みと共にありますように。』

と、心から願ったことを今も覚えている。

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