羊はこの山に遊牧されて、この山の草を食べ生きています。

その糞は有機物として、他の生命と大いに繋がりながら。

この靴下や帽子は、この写真の大地の営みと、ここで遊牧された羊の毛でできています。

山岳民族たちは、羊も、牛も紐にも繋がず、檻にも入れないけれど、彼らは逃げ出す事はありません。羊には羊の。牛には牛の。山羊には山羊の。習性と心地よい暮らしがあるのです。人がそれを理解し、整えてあげれば、牛は夕方に自分で村に帰ってきます。羊も山羊も、羊飼いから一定距離以上離れることはありません。

野菜も養蜂も同じ。ちゃんと各々の自然な特性を理解すれば、農薬も、肥料も、種も村では誰も買う事もなく、野菜も果物も豊かにあります。ミツバチを、村のほとんどの家で飼っていますが、蜂に刺された話も聞いたことがありません。蜂の行動範囲には、信じられないくらい多様な高山植物が咲き、野菜もどんどん身をつけます。蜂が受粉を促進させているのです。

野菜の種を買うという概念が村人にはありません。代々、自然交配し土地にあった遺伝子を独自に作り上げてきた野菜は、病気の害が少なく、りんごや果樹でも農薬を必要とせず、小さく斑点があったりしますが、遊牧された牛の糞や放し飼いの鶏によって、有機物の循環も活発に行われている気がします。マメ科の植物が特産のこの地では、地に窒素が保留されるのでしょう。窒素、リン、カリウムのバランスが良い気がします。

蜂、家畜、植物、野菜。先進化されていないという事は、古代からそのままの自然の生命の僅少が保たれているようなので、人間が科学的に介入せずとも、完璧な美しいバランスを保っています。野菜も日本で習ったよりも、はるかに楽に、自家消費分位はできてしまいます。

山の民はその理の中に、神と共に生きていて、生涯楽しんで生きているように思います。もちろん先進の医療は受けることが出来ませんが、人間も動物も同じように、「生」を全うしているように思います。昨日の新月、皆既日食では、気が触れてしまった方が身近に出て、精霊のために生贄が捧げられたりしました。それも、私たちの感覚を超えた、精霊との関わりがあるせいだったり、生物学的にも理にかなっているような気もしてきたので、否定も肯定もしていません。

今、この地球から、原生林がどんど失われています。先住民族も迫害され続けています。「アマゾンの森林、毎日どれくらい失われている?」「ウール製品 羊虐待」「南アルプス リニア」などなど、Google検索してみてみると、山ずみの問題は見えてきます。

ヒマラヤの山の民と私が暮らして思ったことの一つに、便利な暮らしを求めるあまり、人間には何かが見えなくなってしまって、聴こえなくなってしまったんじゃないかと思えるのです。当たり前に思えるけど。これが当たり前でなくなってきた世の中では、色んな便利さや、心地良さを与えられ、人間に見えて、聞こえていた事が、見えない様に聴こえない様になってしまった気がするんです。だって、ここの人には、羊や牛と対話も信頼もなりやっているし、大気や水や風、太陽、星。識字はできないけれど、見ていたらわかるらしいです。

それがとても大切なことで、彼らには何かが見えているから、ここでは農薬も種も買う必要がないかと、思うのです。先進国の便利な暮らしと、世界中の秘境と呼ばれる場所にある原生林。先進的な人類と、先住民族。関係ないように思えるかもしれないけれど、深く関係していると思うんです。

毎日、この地球から多くの動植物が絶滅していっています。ミツバチ、蝶、多くの野生動植物が減少しています。1度絶滅してしまったら、もう戻ることはありません。この地球にとって、原生林が0.01%でも残っている事と、0%になる事は本当に大きな違いを持つと思います。

120KMに及ぶヒマラヤトレッキングに出かけた時。4000M以上の人工物が数日間存在確認できない場所で、ヒマラヤの高地を遊牧している羊飼いと羊の群れを見た時。人間が森羅万象を妨げず、むしろそのお役にたてている姿を見て、村のみんなで作ったウール製品を販売、文化継続を願おうと思いました。

ヒマラヤの原種の野菜や、名も無き野草の種を少しづつ集め始めました。最初はアウトオブカーストなんて言われたこともありましたが、今は多くの人が信用と深い愛情を持ってくれているのを感じています。

最初は変わりものだと思われて、弾かれたとしても。ミツバチ達のためにお花を植えたり。種が採れ翌年も発芽する、お野菜、お米、植物を植木鉢1つでもいいから植えてみたり。実際にしてみると、楽しかったり、感動したり、毎日に充実や彩りが産まれるかもしれません。生活の全てなんてかけなくても、ほんの少しの事を、1人でも多くの方がしていったらいいのにな。って、ここにいると思うんです。

地球環境の悪化は、もう、取り返しのつかない所まで、きていると科学者の方はおっしゃっていますが、人間って美しく、誇り高い動物だと、ここに来て知ることが出来ました。この美しい地球を壊すだけではなくて、活かし、助け、共に生きることの出来る、賢い生き物だと言う事も知りました。

私の実際している事は、ウールを掃除したり、洗ったり地味な事ばかり、自分の小ささ、儚さを感じてばかりです。でも、自給した洋服達で極寒地の12月ですが、今のところ生活出来ています。

ここに来て7年。少しづつ人間に成って来た様な気がします。

ご飯が食べれたり、水が飲めたり、それもミツバチや全ての動植物のおかげで、牛も、羊も、命を支え合っている大切な仲間のおかげで。私という命が存在している。個であって、全の中の一である感じが、とても心地いいです。その感覚はヒマラヤに来たら、わかる感覚でじゃなくて、日常の何処にでもあるのでしょう。食べ物を食べ、水を飲み、空気を吸って生かされておりますから。

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