【 今回この企画に至るまでの経緯 】
10年間、遊牧民の村に過ごしながら、日本や先進国を時に行き来する生活を続けてきました。村の言葉も理解し羊飼いの一族とは、春夏秋冬山の中のコミュニティで共に生きている。一員として認知されていると思えるほどになりました。
日本や世界の流れを感じながら『なぜ他の外国人ではなく私が糸紡ぎや織を習いここにいるのだろう?』と、何度も不思議に思いました。私は特に才能があるわけでもなく、服飾学校や美大の出身でもない普通の人です。なぜ私が外国人と話したこともない、遊牧民のおじいさんやおばあさんに囲まれて、カースト制度のはっきり残る村で、糸紡ぎを教えてもらい、織物を教えてもらい、遊牧や毛刈りという一年の行事に当たり前の様に参加しているのだろう?と思ったものでした。
私が受け取った文化は日本でも行われていたこと。けれど、もう日本ではこんな古い方法を生業として繋いできた人がおらず、復元、保存という形で繋がれている事。
私は何年も考えました。
復元や保存という言葉が “大それた事“ に感じ、そういう事じゃなくて、ヒマラヤの村の生活の様に、寒い日は日向にみんなで座って糸を紡いで、日向で織って、それを着て。
畑に種をまいて、収穫して、食べて、来年に種を残す。
それを当たり前に、気張ることもなく、自分の作品が素晴らしい。優劣をつけるでもなく、本当に当たり前にこなす人の弟子になりました。
織物をする時傾いた織り機を 「俺が作ったものだよ~」 と言い、息子も時々やってきては一緒に作業をし、そうしてできた民族衣装を思春期の男の子が、おじいちゃんが作ってくれて、「これが最高だよ。」と、言う暮らしの未来に平和と安寧しか感じないのです。
子供たちを見ていると、大人が畑仕事や大工仕事、織物、をしているのをじっと観察し、何とか真似しようとするのです。大人のその姿を憧れの眼差しで見つめ、誇らしげに、収穫した作物の事、村の事、民族の歌や衣装の事を話すのです。
そんな子育てを見ていて、ただ素直に、
夜のひと時に子供と共にいるリビングで糸を紡ぐがあって。
ノコギリを持って織り機を作って布を織って、それを着せてあげる暮らしがあって。
家族で畑を耕して、一緒に収穫して食べる体験があって。
それがただただ大切だと思うのです。
日本でも各地にコミュニティ作りが盛んにおこなわれています。
そのコミュニティに一人でも、糸を紡ぎ、織り機を作り、布を織る事を知っている人がいたら、一人では大変な事でもヒマラヤの村の様にコミュニティみんなで作って、子供たちがそれを見て育って行ってくれたらいいな。と思ったのです。
インドの織機を復元するべく織り機の工房方と、3年間打ち合わせを重ね「ヒマラヤの原始的織り機」の復元と実際に動かすことができる状態まで来ました。
この織り機の再現に協力してくださった「キツツキ工房」さんは、『日曜大工で作れる程簡単なつくり』と言い、この織り機の作り方も広めていけたらいいね。と言ってくださいました。
実際ここまで来るまでは大変でした。資金面の工面が必要で、行政や補助金の相談に県の中央機関まで行き、ヒマラヤからもオンラインで面接をしてもらい、いろんな手段をたくさんの方のアドバイスや補助により試してきましたが、行政にはお役所の道理というのがある。という事を役所の人が正直に話してくれました。
そういう悩みも葛藤も困難もあったけど、私は、私がヒマラヤの長老たちから教えてもらったことを、繋ぐ点でありたいという思いは、益々、益々、強くなって諦めることができませんでした。
私はお話会というのをしているのですが、お話会の会費をドネーション制にして貯め続け、そのお金を、織り機の製作費、記録、告知といった、必要な経費に充てることにしました。
そして、毎月、糸紡ぎ対面かオンラインで教えている、山梨県上野原市の『Book café 魔法の森』当施設で、『糸を紡ぐ工程から織り機を経て布になるまでを公開展示し、さらに、そうして実際にできた作品まで販売する。』という、小さなヒマラヤの暮らしの資料館みたいなことを実際にやってみようと思います。
期間と場所のお知らせ
2025年01月10日(金), 11(土), 12(日), 13(月) 17(金), 18(土), 19(日) 11:00-17:00
「Book café 魔法の森 」 上野原
ヒマラヤ遊牧民伝承の糸紡ぎから古代織までを再現展示します
お話会 with 逆瀬川了 1/12(日)
住所:山梨県上野原市鶴島2277
(JR上野原駅 徒歩10分)
Instagram mahounomori_bookcafe
お問い合わせ: sion490422@gmail.com
【 ヒマラヤの古代織の物語 】
それは昔、地球では当たり前の事だった
糸を紡ぎ、木を切り家族で織り機を作って布を織った。
材料はいつも大自然が与えてくれた。
衣食住をまかなってくれるこの世界に、
母なる地球に、父なる宇宙に感謝し、祈り生きた。
人間という種族は、他の命も栄えるよう働く役割をもって生きていた。
世界を心で見た。心で聞いた。心で触れた。心で味わった。心で話した。
近代文明から最近まで切り離された羊飼いの私の師匠は、
「それがあたりまえで、みんなそうやって生きてきた。」と、
夕方の空の下で遠くを見ながら話してくれるんだ。
見晴らしの良い風の抜ける場所に夕方になると静かに座っているんだ。
私はその時間が大好きで、横に黙って座るのが日課になって何年も経つ。
織物と言うと大層な準備が必要そうだけど
織物の経糸の準備「製経」という作業は、大地に木の棒を打ってそこに糸をかけていく原始的な方法が続いています。
布を織るときに経糸を上下させる部分を「綜絖」と言います。綜絖も木綿糸でできていて、村の長老はこの道具も手作りしてしまいす。
経糸を千か所以上の通すべき所に通していく作業を綜絖通しと言います。
道具などは使わず、太もも、足、手、指、と、身体を縦糸に繋ぎ、自分の身体と道具を結び付け一体にして経糸を通していきます。
たくさんの工程を経て、織り機に座って布を織り始めます。
織りの最初の日は、織機のたくさんの部品を直すところから始まります。山から集めてきた木の枝をのこぎりで切り出し古い部品を作り直し織機に経糸をセットします。
家族やコミュニティで織り機を作るのを見ていた子供たちはやがて大きくなって、糸から子供や孫の服を作ってあげる。息子や孫は「これはうちの羊でおじいちゃんが作ってくれた服だよ!とっても暖かくて雪の日は市販の服より暖かいんだ。」と、思春期の男の子が、雪の中遊牧に出かけ素直に笑っています。
立派な道具を誂えなくても電気がなくても、十分すぎる衣を人は自分たちの手で作ってきた。そうして生きる人達はとても幸せそうに見えます。