冬が終わり春が来る。羊飼いは、夏の間、長い長い、遊牧の旅に出る。そんな、旅の途中のグループに、森の中を歩いていると、毎日出会う。
ヒマラヤの夏のはじまり。。。
観光開発と、急先進の最中のネパールのその雰囲気は、ヒマラヤの奥地でも、都市部でも同じものを感じていた。
インドの村から持って来ていた、原毛は全て糸に変わり、ネパールでも羊飼いに会いに行きたいなー。と思いながら、ラップトップに向き合っていた。
そちらが、ひとつくぎり着いたとこで、原毛を探すという、新しい旅が始まった。
実は、インド以外で、こうして原毛を探すのは初めてで、正直、近代化が進むネパールで、心配だらけでした。
初めに訪れたむらでは、インドの30倍の値段を言われ、山道の途中の村でも、値段が高すぎて頼めず、結局、持ってきていたコンロで自炊し、ケチなお客さんだなーと思われているかな。なんて思いながら、水を使わせてもらいました(笑)
今いる宿も、有名トレッキングルートの分岐のような場所のようで、村というよりも、6件程の宿で成り立つ、トレッキング宿泊地のようです。
2700m弱のここは、インドで暮らしていた村と、ほとんど標高が一緒でしたが、1年以上帰っておらず、心肺機能は低地に慣れてしまって、荷物を途中から迎えに来てくれた、Sureshさんに持ってもらうほどでした。。
彼の後ろを歩きながら、山の人の逞しい足取り、そして、山の若者の頼りがいのある後ろ姿を見ながら、何とか着いて行きました。
随分、運動不足をしてしまったな。。。足の踏み場や、身体の使い方、全然しっくり来なくて、ヒマラヤの村に住んでいたのは、私じゃなくて、違う人だったんじゃないか。と、思ってしまったりする程でした。
それくらい、それまでの道中も含め、久しぶりのヒマラヤは圧倒的でした。
次の朝、前日の晩から、迎えに来てくれていた、下の村の羊飼いの息子、Sushil君と共に、朝から、山を降ります。
選んだ道は、村人もほとんど通らない遠回りの道で、お父さんが羊をその辺で追っていると言うので、森の途中ですれ違うよう、その森を通った。
大きな木が気持ちよく育っている、いのちのめぐり感じられる森で、見たことの無いような、美しい鳥も見かけた。
しばらくすると、羊飼いの独特の声掛けが、下の方からこだました。
反対側の丘から、数匹の羊が顔を出し、1度立ちどまり、その後ろからわらわらと、200匹ほどの羊と山羊の群れが反対側にすれ違っていく。
1匹1匹がそれぞれに違い、毛並みも、色も、顔も、体つきも、違います。この仔は、ショールにしたい。セーターはこの仔。なんて、羊の群れを見ながら思ってしまう。それくらい個体差と、毛質の向き不向きがあるんですよ。
Sisirのお父さんに挨拶し、私とSushil君は、村に原毛を見せてもらいに降りました。
山をおりる途中、羊飼いのキャンプ地を通りました。ここで寝泊まりをしながら、羊に草をはませているようです。そして、もう少ししたら、彼らもまた、遊牧の旅に出ることでしょう。
2時間ほどかかり、森を抜け、沢を越えてと畑ががり初め、石を積んでできた小さな村に着きました。
朝から、1時間半ほどのトレッキング。
彼らの飼っているバッファローのミルク、ご飯と自家菜園のおいもと菜っ葉のカレー。をいただきました。久しぶりのヒマラヤの村の家庭の食事は、シンプルで、薪の香りがして、大地の味がして、村でのその人たちの暮らしぶりを感じました。百聞は一食にしかず。。。
村にずっといた時は、街のカレーに感動していたのに、久しぶりの山の食事を食べたら、身体がイキイキとしてくるような気がしました。
食事の後、原毛を見せてもらったら、とても希少な茶色の原毛を見せてもらい。どの群れでも茶色の羊は1-5%程で、流通の際も高値でやり取りされているようです。
原毛の段階では、なかなか判断しずらいのですが、その場で、手でコーミングをして、糸を撚ってみたら、ステキな羊毛だなーと感じました。
まだ、お昼前でしたので、その羊毛を洗うことにしました。
洗う前には、選別という作業があります。
洗い、乾燥、コーミング、紡ぎと作業が続いていきますが、この後のコーミングの方法で随分、選別方法が変わって来ます。
- 1. 機会を使ったコーミングの方法。 この方法が可能な場合、かなりの汚れや、毛を柔らかく整えることができるので、選別も特に汚れた部分や、毛質の硬い個体の毛などを大まかに分けていきます。この方法だと、紡ぎも随分、早く紡ぐことができます。販売している羊毛製品は、この方法でコーミングしています。
- 2 カードという道具を使った方法。2つのブラシ状の道具を反対方向に引きあい、繊維をほぐし、汚れを落とし、向きを整えていく。特に汚れている原毛、硬い部分などは、洗いの前に、機械の時より厳密に選別する。質の良い部分を選んでいく。糸を紡ぐ時にも、この方法だと紡ずらいので、経験と技術が必要になる。私は自分の世話していた羊、1匹分のみこの方法で行ったが、とても大変だった。インドの村では、1人だけこの方法で靴下を作っている人がいました。
- 3. 道具を使わず手で羊毛をさいてコーミングする方法。極めて原始的な方法で、時間も労力も非常にかかり、ハンドコーミングされた糸は今までに1度しか見たことがない。選別も特別、厳しく分けていく。時間がどれくらいかかるのかは計測してみないとわからないけれど、かなりの時間がかかる。
ネパールでの初めての羊毛洗い、村の子供たちや、大人も興味津々で見に来ました。
洗いの前の下準備をしながら、わかったのがこの辺りの村では、もう、誰も、羊毛を洗っていないし、洗っているところを、見たことも無いという事でした。
羊飼いの娘と、そのお友達も、半分遊びでしたが、手伝ってくれました。
自分もお父さんの羊の群れの羊毛を洗うという発想もなかったようで、羊毛を初めて洗い、子供ながらに、何か理解した様子。
原毛を洗い終わると、水気を切るために、袋に入れて吊るし、この日の作業を終えた。
手伝ってくれた子供たちとは、すっかり友達になった。1人ずつにお小遣いを渡し、商店で好きなものを買ってね。と言うと、一緒に行きたいという。どうしてもそうしたい様なので、それならと、彼らと一緒に村を歩く。子供たちは本当に人懐っこい。
その日は暗くなる前に、上の村の宿に帰りたかったので、1人山の道を戻ることにした。朝来たルートは遠回りで、分かりずらい道という事で、村人達が近い道というルートを、初めて通る道だが選んだ。トレッキングルートから外れている、村人達の使う山道細く分かりずらい。
森は古く深いので、そこも、とても美しい森で、ワクワクして、何もかもが新鮮で、所々で立ちすくんだり、道を外れてしまったり、ゆっくりと楽しみながら2時間以上かかって、宿へ帰る道を楽しんで、1人の山歩きはやはり好きだな。と思いました。
宿へ戻ると、ダイニングホールに火がたかれて、火の温もりが独特の心を安らぎで満たし、宿の人達と色々話しをしました。
この辺りでは村の人たちも 、外国に出稼ぎや勉強に行って、そのままかえってこない人もいるし。お金を貯めて帰ってきて、ゲストハウスを建てたり。する人が増えていて、伝統的な暮らしをする人がどんどん減っているという。
糸を紡ぎ、織る人は、この辺りではもう居ないようだ。宿の55歳のお父さんが、10歳くらいの頃、他の村でチャルカを使い、布を織る家族がいたのを見たという。もちろん、若い世代は、糸を紡ぐことも、織ることも、洗うところも見たことがないという。この地域では、羊飼いはいるが、完全に、糸つむぎと、織りの文化は終わってしまっていました。
ヒマラヤの名山の素晴らしい眺望を持つこのエリアでは、トレッキング客も絶える事はなかったよう。この宿は、セメントや新しい建築資材は使われていないようで、集落の端にほかの宿とは違う雰囲気も醸し出していた。ポカラで知り合った、Sureshさん家族は、ここで宿もしているが、3世代で暮らしていて、バッファローも12頭も飼っていて、養鶏や、畑もしていました。
自分たちの家で採れた鳥の卵。芋。ミルク。乾燥させた野生のドライマッシュルーム。毎日、朝から、バッファロー、鶏の世話をし、薪をわり、家畜の餌の草刈りに出かけ。遠く離れた畑にも足を運びと忙しそう。
この宿の主は、昔ながらの生活も、そんな気持ちも忘れたくないといっていた。
ヒマラヤには山の民が棲んでいる。
ネパール側のヒマラヤにも、インドの村で長く慕ったあの人達と同じ雰囲気がした。
しばらく離れて街の方にいて、それもそれで良い時間だったけれど、近代化や人々の暮らしも、思考も変わっていってしまって、正直、山の人が恋しかった。
山に来て、美しい瞳を持つ人達に再び出会い、羊毛を通してコミュニケーションが始まった。
新しい国に来て、何とか知り合いが見つかって、こうして、再び、ヒマラヤ羊飼いから原毛を譲っていただけたのは、本当にご縁のおかげだと思います。
山の神様は本当にいるんじゃないかな。なんて、こうしていると本当に思うのです。
景色も人の意識も、変わっていき、古い時代からの宝は、去りゆき戻らぬ事も、たくさんあるけれど。。。。
こうして心や志を分かち合える人達が、今も、ヒマラヤでも、日本でも、色んな国にいてくれる事が嬉しくて。
糸紡ぎが忘れ去られてしまった、ヒマラヤ羊飼いのエリアでの羊毛を巡る冒険が始まったきがした。
宿泊地ーPanorama View Point.
Tadapani. Ghandruk-11 .Kaski