
ヒマラヤで体験している、家族で羊を育て、織り機も自作して、糸も作り、自分達の伝統衣を作り、農耕・牧畜・採集・狩猟で生き続けている遊牧民との暮らし。
10年の月日が経ち試行錯誤の結果、完全無農薬、タネは全て古来種、完全オフグリッドの暮らしに全人類が暮らすことを求めるのはナンセンスだと思った。
羊飼いのの子供達は先祖代々伝わってきた服を着ること、そう言う環境に育つことで子供達はちゃんと何か感じてる。と、思春期でも自然の中で動物と向き合いイキイキしている表情や在り方などで思う。
そこにあるのは、心の豊かさ。

世界最古の糸紡ぎの伝承の会『紡ぐ集い』と言う活動でヒマラヤで師匠に教えてもらった事をお伝えしていますが、技術を教えるのではなく、糸を紡ぎは一見見た目は穏やかですが、自分の状態や心の在り方。が、顕著に現れるのでそれを苦しいけど認め自己のものとして内包することもできるし、そんな感情は私の中にはない。と、原因を外に発散したり他の人に転化することもできる。
その対応が糸の表情に顕現する事を実感する。

ヒマラヤの暮らしが始まるまでの私は、世界を旅していて楽しい幸せな毎日で、自然農やヨガをしキャンプ暮らしでしたが、悪い心がたくさんありました。
インドに行って一つの道に入って、大自然が私の悪い心を洗いざらい目に見える形で目の前に突き出してきて、向き合わざる追えなくなって、その道で光を照らし続けてくれたのが、遊牧民の長老達が自分の子供の様に糸紡ぎやおりを教えてくれて、彼らの信じる山岳信仰の教えに基づく暮らしでした。
一年目からお世話になってるお婆さんは、何回もお尻を叩かれたし、掟を破ったから1年半くらい口を聞いてくれない時もあった。結局真面目に紡いで織ってたら結局は褒めちぎってくれて今も本当の家族の様に怒ったり甘えたり嫌なところも全部含めて許し許されている。ただ外国人の私も掟は厳守する事が条件。
そう、お互いの不完全なところ、嫌なところも全部知った上で、赦し許されて、その上で愛情を持って接してくれている。それが彼らとの師弟関係の形。

私は日本で糸紡ぎのクラスで伝えたいのは技術じゃなくて、そうやって繋がっていく糸紡ぎの本質。
今までは糸紡ぎだけだったけど、もっと自分に深く潜る織物も日本で始めて、それを糸紡ぎもクラスの方と共有できた。
そこに説明も私と言う人格も要らなくて、その技術を淡々とする事で、感じる人は私がヒマラヤで感じた様に感じられる。
DNAレベルでの記憶があるから、私と言う人格には到底不可能なレベルの感動とかを感じてもらう事ができる。
人類の叡智って何???って正直思っていたんだけど、まだうまく言語化できないけど、クラスのみんなが明確な理解を
深めてくれてる。
こうしてみんなで織った絨毯が完成して、みんなで感じて味わうことができました。
小さな切れ端を大切に握って持ち帰った方の姿にキュンとしました。
これからは日本でも織ることができます。
私も日本にもアトリエが欲しくなって、今、岐阜に家を探しています。
日本とヒマラヤの文化の垣根が低くなればいいな。
そして、自然派な生き方と文明的な生き方の垣根が低くなればいいな。
こうして手を動かし生きれている事に幸せと感謝の気持ちが溢れます。
