彼女に出会ったのは、もう、7年以上も前のこと。。。
そんなに社交的ではない彼女は、いつもお寺で編み物をしていました。
彼女は熟練の素晴らしい 、編み物の技術を持っていらしゃる。と思っています。
Parvatiという、女性の神様の分身であるとされる、この辺りではとても有名な神様の鎮座しているお寺(神社?)を、彼女の家系は代々守っていらっしゃる。
神様を守る一族は、朝は祈りから始まり、日中は神社に座って、お参りに来る人たちに、祝福を授け続け、夕方もお祈りをし、一日中、お寺を守っていらっしゃる方たちがインドにもいます。
デブキさんは、いつもお寺の賽銭箱の横に座って、編み物をしていました。
私も、この谷に初めて来た年、編み物の練習を彼女の横に座ってよくしていたのを思い出す。
最近は高齢で足が弱くなって、お寺にいらっしゃる姿は見ないのだけれど、家の前の路地に座っていたり、彼女の友人のマノルマさんのお宅で会ったり、携帯は介さないのですが問題なく、お仕事を受けってくださって、今はカーディガンを編んでくれています。
彼女の熟練の技は流石で、今までにも、家族や親戚の分のセーターなどをずーっと編んできた様子。
丁寧にサイズをはかり、デザインなどもしっかり聞いてくれる。
神様に祈る家系に生まれて、信心深く、祈りを捧げる事が仕事として育ち、幼い頃から神に身を捧げるように生きることが宿命だったのかと、彼女の佇まいからは感じます。
静かに、真面目に、多くのことは望まず、微笑んで過ごしています。
娘さんが突然死してしまったり。彼女の身にも、この7年間に、たくさんの事が起こっていましたが、変わらずお祈りをして、編み物をし、微笑んでいます。
年齢を重ねるって、幸せなことも沢山あるけど、辛い辛いことも当たり前だけど起こるのですね。
そういうのを越えて
ただ微笑んでいる
そんな
お年寄りがここにも沢山います。
有名になるとか、繁盛するとか。人と人の間で優劣を決めたり。とか。彼女との関わりでそういう価値観を持っていないのかな。と、感じます。
学校も、車も見ることもないような環境で育ってきた彼女ですが、いつだって何センチ? 何目で編んだらいいかしら?と丁寧に確実に、確認しながら編み進めていきます。
気品、細やかな配慮。に溢れた彼女。
それはどこで身につけたのでしょうか?
彼女のような方が、村の真ん中のお寺に毎日座っていることは、ネットもテレビもなかった時代に、他の村の方のも大きな影響を及ぼしていたのだと思います。
はっ♡と目を見張るような、美しい色や模様のもの編み物がInstagramなどでは、フォロワーを獲得し、アーティストとして有名になったりする時代。それも大きな努力があって手にすることの出来るポジションで、素晴らしいことだと思うのですが。
何十年も、何十年も、神様に祈り続けて。お寺を守り続けて。ただただ、編み物を編んでいた。そういう人のシンプルだけれど、安定した網目が彼女の編み物にはあって、それも一つの芸術の形だと私は思います。
それは彼女の手から編まれ、生じてくる風合い、手癖と彼女は仰ります。
そんな手と手工芸の作品は、生き方を饒舌に物語ってくれるように思います。
年老いた彼女の手が編み物をし続ける姿。を見ていると、何か尊い、とても尊いもの見ているような気持ちになって感動してしまいます。
この様な、粋なお年寄りがその生き方を通して伝えてくださってること。
世襲制の中でも、人とは違う大きな役割を背負った家系に生まれた彼女。
動画にも言葉にも残せない、形なきバトンをきっと彼女はご先祖さまから受け継いで、毎日のその役割を果たしてきたように思うのです。
そのバトンはちゃんと繋がっているんだろうか?
世界中に受け取られていない、たくさんのバトンが落ちているかも知れません。
本当にね。
紡いだ糸も。網目も。
その人自身を、言葉以上に物語っているように思えて、私自身、まだまだだな。
紡ぐ糸や、編み物も、感情や気分が出ていて、もっと作り込みたい。と思わせてくださるし。 それを支える、人格、意識も、もっと変化していけると。思わせてくださります。
彼女の隣に座っているのは、幼い頃、おばあちゃんといた時のような、安心感とちょっとした緊張も混じった、安らぎの時間のひとつです。
本当にステキな方たちの ""手 ""が重なって、Bella Terraの作品になっています。
たくさんの""手""。
たくさんの地球の恵みの重なりあって、一つの衣服になっていく、その過程は、私の心に暖かい優しい炎を灯してくれているようです。